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2016.11.28

熊本 耕す人びと4.「わさもんの先手必勝」村山信一

「有機農業界の第一人者が教える 有機農業で生き抜くための極意」

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 熊本で有機農業に取り組んでいる農家で、村山さんの名前を知らない者はいない。
 昭和52年、地元・矢部町で開催された「第3回有機農業全国大会」に参加して以来、有機農業に取り組み、熊本の有機農業を牽引してきた第一人者である。

 「昭和35年頃から農薬が普及し始めて、私も最初は農薬を使っていましたが、数年経って身体に痺れを感じるようになった。原因は農薬しか考えられなかった。そんな時に、有機農業に取り組んでいる人たちのことを知った。当時は、周囲で有機農業に取り組んでいる農家はいなかった。だけど、何でも試してみる。人がやっていないことを最初にやる。人の真似をするよりは、誰もやっていないことを一番最初にやりたいと思う性格だから」

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 最初に有機で取り組んだのは米だった。有効な機械や資材もなかったため、毎日毎日、ひたすら田んぼに入っては手で草を抜いた。周囲の農家からは「あなたの所が農薬を撒かないからうちの田んぼにも害虫が来る」と苦情が相次いだ。

 「ところがね、ある年に、稲の害虫であるウンカが大発生したことがあった。それで、実験をした。ある田んぼの半分に農薬をかけて、残りの半分を農薬をかけないでおいた。そうしたら、農薬をかけなかった田んぼだけが無事だった。それは、農薬をかけない田んぼには蜘蛛が来る。蜘蛛が巣を張ってウンカを捕まえてくれていた。それから、周囲の農家も変わった。今では、この地域で田んぼで農薬を使っている農家はゼロになった」

(写真キャプション):今でこそ地区をあげて無農薬で栽培されるようになった米作りだが、先陣を切って手がけた村山さん。育てている品種はひのひかり。また、無農薬栽培では不可能とまで言われてきた丸レタスも完全無農薬での栽培に成功。

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 苦労した田んぼの草には、ジャンボタニシを入れることを思いついた。平地の田んぼでは稲を食べてしまうと敬遠されていたが、村山さんの棚田では、見事に草を食べてくれた。
 「私にとっての有機農業の基本は、草を見る前に草対策をすることです。草が出始めてからでは遅いんです。昔の言葉にこういうものがあります。『上農は草を見ずして草を取る。中農は草を見てから草を取る。下農は草を見ても草取らず』って。だから、作付けの合間に畑を耕して雑草の芽をしっかりと摘んでおく」

 村山さんの農業は、畑に出ている日中だけで終わりではない。例えば、里芋。里芋は水やりが肝心な作物と言われるが、実際にどれくらいの水分を必要としているのかは分からない。そこで、空の一升瓶を抱えて、日が暮れた里芋のところへ行き、ポタポタと垂れてくる水をじっくりと観察をする。

 「一晩でおよそ2合分の水が溜まっていました。これを知っているかどうかで里芋の栽培方法も変わる。有機農業っていうのは、先手必勝なんです。草にしても、それこそ販路の確保にしても、まだ誰も手をつけていないことをやりきった人間が勝つ。熊本の言葉で、目新しいもの好きっていう意味で『わさもん』って言葉があるんですが、わさもんの先手必勝。これが、これから有機農業に取り組もうとする若い人たちに贈る私からのメッセージです」

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[プロフィール]村山信一(むらやましんいち)
1947年熊本県生まれ。農家の長男として生まれ、当初は慣行農をしたが、地元農協内に有機農業研究会を設立し、4年間代表を務める。生産団体「御岳会」の設立や生協との提携などにも取り組み、現在、有機農業の町として知られる山都町の礎を築いてきた牽引者。

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