2016.09.01
炭鉱と飯塚
今更ですが、今回は私の故郷であり、就農先である飯塚の「炭坑」話をしようと思います。
飯塚市は福岡県の中で筑豊(ちくほう)という地域で、
この筑豊はかつて日本のエネルギーを支えた「筑豊炭田」として栄えていました。
今も炭坑時代の名残の建物などがチラホラとあるのですが、
この写真の山も炭坑時代の遺産の一つです。
この山は「ボタ山」と言って、石炭を採掘するときに出る「ボタ」という
石炭のカスのようなものを集積して出来た山なのです。
なので、昔は真っ黒な山だったそうです。
その頃は「ボタ山に草なんて生えるはずが無い!」と言われていたそうですが、
植物の生命力はすごいもので、今はもう緑色になってしまいただの山にみえます。
(昔は筑豊富士と言われるほど真っ黒で美しかったそう。)
そして、そんな炭坑と私の田んぼには深いつながりがあります。
私の田んぼの畦(隣の田んぼとのしきり)は、
通常のように土で盛り上げているのではなく、ほとんどコンクリ—トで整備されています。
これは、炭坑が閉山された後、鉱害復旧の一環として田んぼの基盤整備をする際に、
全面コンクリートにしたためだそうです。
筑豊では、炭坑の鉱山があった付近の田んぼは、
このようなコンクリート畦になっている場所が多くあります。
畦の草刈りをする箇所が少なくて済むので楽なのですが、
今はコンクリートの老朽化という問題も出てきているので、
補修に時間を取られることも…。
(コンクリート畦は電気柵が張りやすいです。)
炭坑が閉山されて人口は減るばかりで、かつての栄華は無くなってしまった飯塚ですが、
もう一度農業を通じて飯塚を盛り上げることはできないかと、日々考えています。
八兒美恵子(やちごみえこ)
福岡県 飯塚市
1989年 福岡県生まれ。大学で環境生態学や土壌学を研究した経験と、食べることが好きなこともあり、食に関わる仕事の中でも、食の最前線で人の命を支える農業に魅力を感じ、農家になることを決意。2016年4月より新規就農。合鴨農法による米つくりと野菜の栽培の両立を掲げている。目指す農家像は、里山の整備や鶏小屋作り、パンを焼く石窯作りなどなど、暮らしにまつわる100通りの仕事が出来る人という意味での百姓。