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2022.06.15

道具の魂。「耕す」と向き合う

6月。北海道の野山の緑が一年のうちでもっとも鮮やかさを増し、新葉と少し成熟した葉のコントラストが美しい季節となりました。カッコウが少し前から啼き始め、いよいよ豆や人参、牛蒡などの種蒔きの準備が整いました。

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(ブルーベリー畑から見える馬追丘陵)

今年大豆を蒔く畑は、もともと粘土質の水田で、セイタカアワダチソウやオオハンゴンソウなどの頑丈な地下茎をもつ草や、アカシアが薮を形成していた土地。また5月にはほとんどまともな雨が降らず、土はカラカラに渇いて耕耘機も跳ね返されてしまい、なかなか播種準備が整いませんでした。結局、残ってしまう地下茎を鍬を使い、手作業で掘り返し、レーキで寄せてからの種蒔きとなりました。

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うちの農園で大切にしていることの一つとして、できるだけ機械に頼らない。圃場で使うのは軽トラに積めるサイズの機械のみ。ということがあります。その理由もいろいろとありますが、精神的な面としては、機械に乗っているとどうも土に対して高圧的に振舞ってしまうような感じがしてしまい、生身の人間として土と向き合うことの難しさを感じていました。

機械や道具の魂は、それらが使われる「目的」のために作られたために、単なる「手段」を超えたところに宿っているように思います。

少し話が逸れますが、英語では「文化=Culture」と「耕す=Cultivation」は同じ語源から来る言葉だそうです。故C.W.ニコルさんもよく「「木」を伐ると「本」になり、「文化」が生まれる」と言っていました。古来から人は耕したり、木を伐ることで自然の大きさを肌で感じながら暮らしてきたと思います。それは生活のための「手段」であり、自然と繋がるための「手段」としての行為でした。

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話を戻すと、道具は人間にとっては「手段」そのものですが、道具それ自体は「目的」が形をなして存在するものであると思います。つまり、鍬は土を耕すためにあり、ノコギリは木を伐るためにあり、ミサイルは人々を攻撃するために存在する。

道具の魂は、それを使う人間に働きかけ、熟練すると身体の一部のように扱えるようになります。しかし、注意しないと「手段」は知らないうちに「目的」化し、つい行き過ぎてしまうもので、それはやはり農機具にも当てはまること。鍬やロータリーの作られた「目的」は「耕す」こととは少し違い、土の構造を物理的に破砕することであり、農家がそれを「目的」に応じて使い分けることではじめて「耕す」ことになります。

大切なことは、土壌の構造をつくり出すのは動植物や微生物の活動であり、それを生かすか壊すかは道具の扱い方次第なのだと自覚して扱うことだと思います。本来大地や自然からの恵みを受け取り、手入れを施しながら環境を整えることで維持されてきた農地や里山。現在、その関係性も道具の進化とともに変わっていき、人間と自然との精神的な繋がりを再構築すべき時代が来ているのではないでしょうか。

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(一見硬い粘土質の土壌も根やミミズなどの通った無数の孔が空いている。水や空気の通り道であり、大地が呼吸するためのこの構造は、機械や鍬では作れない)


農と蔵たなどぅい
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玉城聡将

玉城聡将(たまきあきまさ)
農と蔵 たなどぅい
北海道 長沼町

1992年愛知県生まれ。和の料理人を経て、義父が営農する北海道へ居を移す。2022年4月、「農と蔵 たなどぅい」を開業。夏は野菜を育て、冬は蔵人として醤油を仕込む。土壌や微生物、小動物相を豊かにすることで、植物が持つ本来の生命力を発揮できる手助けをし、「種取り」をすることで栽培種の多様性保全も視野に入れる。「常に自然を師匠として学び、授かったものは与えるためにある」という信念の下、「土地に仕える者」として仕事に取り組む。

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