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2015.04.28

IT企業から農家へ

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はじめまして、奈良の大野收一郎と申します。
私の経歴をひとことで言うと、
兼業農家の息子が実家の奈良を出て、東京のITベンチャーで働き、
昨年Uターンをして実家で就農しはじめた所です。

生まれたときから家の前に田んぼがあり、
牛がしろかき(田植えのために、田に水を入れて土を砕いてかきならす作業)をしていたり、
井戸やかまどがある田舎の暮らしの中で育ちました。
時代とともにまわりも都市化して行く中で、当時はサラリーマンの家庭の友達を羨ましく思い、
泥臭い農家の息子をカッコ悪いと思っていました。

高校生になり、お米やお酒の配達のアルバイトをしたのですが、
初めてのアルバイト代と、実家の年間のお米の売上とを比べ愕然としたのです。
このままでは結婚し家族を養えないと思い、大学へ行き、就職活動をして、会社員になりました。

スーツを着て電話会社の法人営業として働き始め、その後東京へ転勤。
次に創業間もないITベンチャーへ転職し、役員を務めておりました。
当時は終電まで仕事をしたり、土日も休まずに仕事をする事もあり、
一人暮らしの私は外食ばかりの生活で、日光アレルギーを発症し苦しんでいました。
その後、結婚し、家庭の中で食事をとるようになってからは、
アレルギーは徐々に軽くなっていきました。

そんな中、2011年3.11の震災で、スーパーから食べものが無くなるという体験をきっかけに、
果たして私達大人は、子ども達にこの先安全な水や食べ物を食べさせてあげられるのか、
このままではいけないのではないか…と思うようになりました。
この頃から「食べること」の意味を強く考えるようになったのです。

そんな時に目に映ったのが、実家の田んぼでした。

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約300年前の先祖代々の名前が残る奈良の土地で、ずっとお米を作り続けてきたという歴史を、
このまま自分が断ち切っていいのか。
しかし、これまで歩んで来た社会人人生を、捨ててしまっていいのか。
どちらの人生を選ぶことが自分のとって本当に悔いの残らないことなのか、
数年間悩み続けました。

悩み抜いた結果、
「これからの時代は、日本でも食べ物を作る農家がもっと注目される必要性がある。」と思い、
奈良に戻り、自らも作り手となる道を選びました。

今は、東京で働いていた時のつながりでITの仕事を半分、
お米や野菜の栽培とお米屋の仕事を半分ずつやりながら暮らしています。
農地も小規模で、栽培技術もまだまだですが、
自分なりのやり方を模索しつつ、チャレンジしていきたいと思っています。

迷い、もがきながらも、前を向いて歩いていくつもりですので
よろしくお願いします。

その他の挑戦者

  • 今村直美・細渕有里
  • 佐藤友明
  • 千葉治
  • 宮﨑康介
  • STL編集部

challenger

大野收一郎

人間は食べものから作られる
大野收一郎(おおのしゅういちろう)
奈良県 奈良市

食べ物を作る農家が、もっと注目される必要性があると、自らも作り手となる。東京のIT企業役員を経て昨年就農。1968年生まれ奈良県出身。

写真家の眼 大野收一郎

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