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2017.12.20

風と雷そして雪

いつもより一足早く冬がやってきました。
北西の風が木々を弓なりにして、稲光が辺りを瞬間照らし出し、その直後、あられや雪が一瞬にして地面を覆い、一夜にして墨絵のような北陸の冬景色が完成しました。

僕が5年前、初めて家族をこの能登の小さな町に連れてきた日も、そんな大荒れの一日でした。
12月9日、「山祭り」。里に降り、田んぼを見守ってくれていた神様が山に帰る日です。
林業に携わる人たちは、この日に山で仕事をしてはいけないことになっていて、御神酒をあげ、柏手を打ち、一年の無事を感謝します。
そして山に入らない理由がもう一つ。山祭りの日は決まって大荒れの天気になるからです。

初めて家族でこの地を訪れた日、
亡くなった芝田さんは、盛大な山祭りを山の作業小屋「風の子山荘」で開いていました。
神主が祝詞をあげ、伝統ある石動山太鼓の名人が雄壮な太鼓を奉納する間も、雪が降り、風が吹いていました。

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(なんでもやることが大きかった、芝田さんの山祭り。白い髭の人が芝田さん)

神様がいるのだとしても、実際歓迎されているのか不安になるような、そんな天候でした。
そのあと芝田さん宅に戻り、山の関係者や地域の人たちを集めた直会(なおらい)の席で、僕たち家族が正式に紹介されたわけです。
まだその時は移住を決断していたわけではなく、その後曲折を経て、
まずは僕ひとりが準備のため移住。その5ヶ月後には家族が引っ越してきました。

あれから約5年、あまりにも沢山のことがあって、その5年が長かったのか短かったのか、良かったのか悪かったのか、まだなんとも言えない感覚です。
ただ、この5年の日々が家族にとって濃密な時間であったことは確かです。

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(直会の席。このころの家族の写真を見ると切なくなる)

さて、今年も師走を迎え、結局いつものように
「とても新年を迎えられるように思えない」という心理状態を抱えながら、
今日もあくせく動き回っています。山の作業もレンコンも事務作業も、てんこ盛り。
こんな僕にも、どうか良い年が待っていますように。

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(今の「風の子山荘」)

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新田聡

新田聡(にったさとし)
石川県 羽咋市

1969年石川県生まれ。震災で居住地の放射線量が高くなったことを機に、生きる道を模索し農業を選択。2013年、出身地の小松に近い羽咋市で「ウッドランドファーム」を開く。人が集う「山の駅」を作りたい、山で音楽祭を開催したいなど夢が広がる。

写真家の眼 新田聡

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