2017.11.28
プロ素人農家として
里山が紅葉の時期を迎えました。
山の作業小屋では薪ストーブに火が入り、近くのリンゴ園や柿園も、紅葉に負けない鮮やかな赤や黄色で埋め尽くされています。
僕の育てている「原木椎茸のと115」という品種は、11月中旬、
最低気温が8℃を下回る日が続くようになると、その低温の刺激によって芽を出し始めます。
春に植菌して積み上げてある1年目のホダ木(1m幅に切った植菌原木)は約800本。
収穫のために、それらを立てかけるスペースを作る作業を急がなければなりません。
まずは、既に立てかけてある4〜5年前の古いホダ木を選り分け、
もう収穫が見込めないものは、来年夏の一攫千金を狙ってカブトムシの養殖場というか定置網のような場所に移します。
そして、まだ収穫できそうなものは、古いホダ木用の場所に移し、地面の近くになるように低く立てかけます。(古いホダ木は乾燥が進んでいるため、地面近くで湿度を得られるように)
そうして空いたスペースに、今年植菌した1年目のホダ木を並べていくのですが、これが一筋縄では進みません。笹やシダ類、つる性の樹木など、夏の間に伸びた雑草雑木を刈り、ホダ木を立てかける木の支柱が腐って倒れているところを補修し、と、何かと手間がかかります。
今年はそれに加えて、厳冬期の安定した収穫を目指して単管パイプでハウスを作ろうとしていて、それはもう大変な状況なのですが、実はここに、僕を支えてくれる最大の恩人がいてくれるのです。
名前は一郎さん。亡くなった芝田さんとともに山の仕事を育ててきた方で、芝田さんが亡くなってからも、「お前のすることは芝ヤンがやることだと思ってやっているから気にするな」と言って、木の伐倒からホダ場の整備、単管ハウスの建設まで、全てボランティアで、僕がレンコンの収穫をしている間も、漬物の作業をしている時も、一人山に入って作業をしてくれています。
能登を評する言葉に、「能登はやさしや、土までも」というのがありますが、
まさにそれを体現したような人で、感謝の一言しかありません。
(単管ハウスを作る一郎さん。手前は積み上げてあるホダ木)
これまで、僕のブログを読んでいただければお分かりになると思いますが、
僕には何一つ自分で完璧にこなせる仕事はありません。
いろんなことに手を出して、いろんな人に世話になって、助けてもらわないと回らないというビジネスモデル(?)になってしまっています。
こんなのは、プロの素人農家とでも言えばいいんでしょうか。ん〜。
今年、そんな僕を頼って、一人の寡黙な男が羽咋市に移住してきました。
名前は、市堰(いちせき)くん。
以前通っていた「金沢林業大学」の同期で、山の仕事がしたいという強い気持ちがありながら空回りしているような状況にあった彼に、
ふと、「よかったら一緒にやってみる?」と言ったのがことの始まりで、
気がついたらお母さんと2人で移住してきたという、なんとも思い切りのいい人です。
(松の巨木を伐倒する市堰くんと(右)、見守る一郎さん(左))
人と出会い、繋がることで、自分の思い描く理想がどんどん膨らみ、また自分も変化していく。そんな刺激に慣れ、ともすると自らも変化を求めるようになったなんて、仕事をひとりで抱え、変化を億劫がっていた会社員時代の自分も随分変わったものだと、驚いています。
さあ、今年も残りわずか。
僕と、家族と、僕とともに歩いてくれる人たちの明るい新年のために、もう一踏ん張りです。
新田聡(にったさとし)
石川県 羽咋市
1969年石川県生まれ。震災で居住地の放射線量が高くなったことを機に、生きる道を模索し農業を選択。2013年、出身地の小松に近い羽咋市で「ウッドランドファーム」を開く。人が集う「山の駅」を作りたい、山で音楽祭を開催したいなど夢が広がる。