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2017.10.19

くわ堀りレンコン始動

今年もとうとうこの季節がやってきたか…。
来る日も来る日も土を掘り、その下に眠る彼らの寝相を想定しながら、
注意深くクワを入れます。その深さ、およそ60cm。膝丈よりもやや深く、
掘っては後ろに、掘っては後ろに土をやりながら、半日でおよそ3〜4m進みます。

目線が地面とほぼ同じになり、名前も知らない小さな虫や泥の匂いに包まれます。

なんだか自分がイノシシにでもなったかのような気分になって、
ひたすら泥にまみれて汗を流していると、
なんだか吹っ切れたような、「矢でも鉄砲でも持って来い!」的な感情が湧き上がってきたりして、ダラけ、イジケがちな僕の心を矯正してくれます。

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(今から4月まで、掘って掘って掘りまくります!)

だいぶ慣れてはきたけれど、俗に「掘り10年」と言われるらしく、
その奥深さと泥の深さは、正直結構キツイのですが、このレンコンを評価してくれる声が多く、
また、新規就農した当初、様々なトラブルから経営計画が狂い困っていた時に、
救世主のように舞い降りたのがこのレンコン田の継承の話でした。

それから4年、縁の下ならぬ泥の下の力持ちとして僕の農業を支えてくれていることを考えると、「ま、やるか…」と足取り重く取り掛かるのが常となっています。

このレンコン、僕が引き継ぐまでは、備後さんという名人が
長年、くわ掘りにこだわって育ててこられた、当地では知る人ぞ知るレンコンで、
地元の料亭やスーパーでも指名買いが多かったとか。

そんなこととはつゆ知らず、最初に普及所の職員さんと備後さんのお宅を訪ねたのが3年半前。
レンコンの知識など全く持ち合わせていなかった僕に、熱くレンコン作りへの思いを語っていた姿を思い出します。

その後、備後さんは病気になりレンコンを自分で育てることはできなくなったのですが、
教えることはできるということで、ならば僕も頑張ってみようかと引き受けたのですが、
2度ほど掘り方を教えていただいた頃、
備後さんは病気が悪化し、入退院を繰り返し亡くなりました。

レンコンへの情熱だけをノールックパスで受け取った形で、
それからというものは、倉庫にある道具の数々と、
断片的に覚えている備後さんのアドバイスを頼りになんとかやっているというのが現状です。

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(師匠・備後さん(右)に掘り方を教わる僕(左))

しかし、僕はともかく、レンコンは備後魂をしっかり受け継いでいるようで、
出荷先には非常にウケがよく、毎年腱鞘炎になる程、掘らせていただいています。

昨年、レンコン掘り体験を企画して、親子30名ほどのイベントを実施したところ、
かなり好評で、今年は回数を増やして開催しても、すぐに埋まってしまうほどでした。

そのイベントの記事を、亡くなったレンコンの師匠・備後さんの奥さんに見せたところ、
「おとうさんはこういうことをしたいって言ってたんだよ」
と言われたのが、レンコンをやって一番良かったことかなあ。

そんなわけで、ここでも僕を否応無く駆動する力が働いており、
よって今日も足取り重く、深い穴に足を踏み入れることになるのです。

challenger

新田聡

新田聡(にったさとし)
石川県 羽咋市

1969年石川県生まれ。震災で居住地の放射線量が高くなったことを機に、生きる道を模索し農業を選択。2013年、出身地の小松に近い羽咋市で「ウッドランドファーム」を開く。人が集う「山の駅」を作りたい、山で音楽祭を開催したいなど夢が広がる。

写真家の眼 新田聡

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