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2017.09.09

なぜ僕が里山で仕事をするのか

里山を吹き抜ける風が秋の爽やかさを含んできました。
田んぼでは稲刈りが始まり、僕の山では薪作りが続いています。
小さな帽子をかぶったまだ若いどんぐりが、風に飛ばされて落ちてきます。
山栗の木が小さなイガ栗をつけ、アケビの実も膨らんできました。

また今年も夏が終わってしまった。
あれもこれもやっておきたかった夏が行ってしまった〜。あ”〜!

爽やかさを増す山の空気の中、秋から始まる怒涛の農作業を思って焦りばかりが増幅した結果、一足先にセンチメンタルな秋を迎えているこの頃の僕です。

さて、その怒涛の農作業の大きな部分を、レンコンの収穫とともに分け合っているのは、
原木椎茸の作業です。
5年前の10月、まだ農業を自分の職業とすることに迷いを抱えていた時、思いがけず、能登の里山とその山で熱く未来を語る芝田さんと出会ったことで、一気に僕の人生が新しい方向に動き始めることになりました。

かつて人々にとってかけがえのない場所であった里山から人が離れて約半世紀。
芝田さんにとって、少年時代を過ごした「里山の荒廃」と、
現役時代を過ごした全農で、農の現場をつぶさに経験する中で目にした「食の荒廃」は、
芝田さんの中でリンクしていたようです。
そして、有志を募り、この里山で原木椎茸を作ることから、未来に向けての歩みを進めようとされていました。

「山の駅を作りたい。」「コンサートを開いたり、レストランを作って、人が集い自然の恵みを満喫し、本来あるべき食を体験できる、そういう場所をこの里山に作りたい。」
そんな夢を僕にいつも大真面目に話してくれました。

もうすぐ、芝田さんが亡くなって1年が経ちます。
何か課題にぶち当たった時、あの人ならどう考えるだろう、と一旦自分から離して考えることが癖になりました。そして同じ夢を共有しています。
人の思いを背負うことはそんなにキツイことではありません。
むしろ自分の中に頼れるアドバイザーが増えていくような、そんなイメージです。

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(里山のシンボル「風の子山荘」。山荘の看板は芝田さんが自ら彫りあげたもの)

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新田聡

新田聡(にったさとし)
石川県 羽咋市

1969年石川県生まれ。震災で居住地の放射線量が高くなったことを機に、生きる道を模索し農業を選択。2013年、出身地の小松に近い羽咋市で「ウッドランドファーム」を開く。人が集う「山の駅」を作りたい、山で音楽祭を開催したいなど夢が広がる。

写真家の眼 新田聡

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