2018.09.28
北海道から電気が消えた日
9月6日未明、北海道胆振東部地方で最大震度7を記録する大地震がありました。
地震当日、大きな揺れで目が覚めました。
携帯に入った地震速報を見て、胆振地方で震度7、
僕の住む美瑛町で震度4の地震が発生したことを知りました。
その後、しばらくして停電になりました。
その日僕は休日で、停電が復旧するのを自宅で待っていました。
しかし、お昼を過ぎても停電が復旧しません。
ちょうどその頃に、「北海道全域で停電。復旧の見込み立たず。」と電力会社からの
発表があり、そこで想像以上の事態が起きていることに気が付きました。
このまま停電が長引いて電気が使えないと…
「豚舎の掃除や豚の餌やりをすべて手作業ですることになる」
「ヒーターが使えず哺乳豚が寒さで死んでしまう」
「保冷庫で冷蔵している野菜がすべてダメになってしまう」
心配事が次から次へと頭をよぎり、豚舎や畑のある上富良野町の実家に連絡をしました。
しかし、携帯電話が繋がりません。(早朝には繋がっていました)
今考えれば遅すぎる判断ですが、
それからようやく実家に向かいました。
実家につくと、すぐに大きなモーター音に気が付きました。
家の前に1台、豚舎に1台、野菜保冷庫に1台、発電機がありました。
(豚舎に設置された大型発電機)
一緒に農業をしている伯父が朝6時の時点で、
農業機械や重機などをレンタルしている業者に連絡をして発電機を確保してくれたそうです。
豚舎の中も明かりは最小限に抑えていましたが、なんとか仕事ができる状態でした。
(豚舎内の明かりは哺乳豚を暖めるヒーターのみ)
その後2日間停電は続き、多少の不便はありましたが、
この発電機のおかげで大きな被害もなく過ごすことができました。
長期停電の影響は今も残っていて、
農業では電気設備を使う酪農や畜産に非常に大きな被害が出ています。
今回は伯父の迅速な対応で事なきを得ましたが、
事後対応でできることには限りがあると痛感しました。
備えあれば憂いなし。
最悪の事態を想定して、有事の備えを一から見直します。
村上昭平(むらかみしょうへい)
北海道 上富良野町
1989年北海道生まれ。北海道大学経済学部卒業後、東京の外食企業やコンサルティング会社で働く。家業を継ぐと決めてから有機農業の学校に通い、2018年1月に家族が営む「農事組合法人一心生産組合」で就農。伯父、父、母、従兄や兄弟と共に大家族で働く。