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2017.10.05

部落のこと

私たち牧野農園は、蘭越町に移住してゼロからのスタート。
蘭越町内の皆さんには見守られ支えられ、本当にたくさんの皆さんのおかげで、牧野農園を築いています。
今回は、一番身近である部落のことを紹介したいと思います。
そして、牧野家が感謝してもしきれない、2人のおじさんも紹介したいと思います。

・部落のランドマーク「寅さんの家」
「寅さんの家」は、見晴らしがいい高台にある農家民宿です。そこの理念に賛同して田舎暮らしの魅力を発信していた農家のおじさん、愛称「わびこのお父さん」が、私たちをこの部落に引き寄せてくださいました。わびこ農園にいけば、イチゴ狩りや木の実拾い、五右衛門風呂、伝統芸能の神楽の練習、合鴨農法の田んぼで行うはさがけ(収穫した稲穂を天日干しにする伝統的な方法)、ポニーのえさやりなど楽しいことが満載です。わびこさんは、牧野家をはじめとするこの部落の移住者たちの移住仲介人でもありました。

・部落に伝わる大南部神楽(おおなんぶかぐら)
大南部神楽は青森県十和田市にルーツがあると言われる、囃子に合わせて舞いを踊る伝統芸能です。東北出身の私の血が騒ぎます。ただ実際のところ、メンバーの半数が最近の移住者で、神楽をちゃんと習得できていません。昔は祭りで舞を奉納するほか、部落の老若男(女)の交流の場でもあったとのこと。私たちも世代や出身を超えて継承に励んで、同じ部落の方たちとの濃い時間を作っていけたらいいなと思います。

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(稲刈り前の秋祭り。神楽を奉納します。今は笛を吹ける方がいなくなってしまいました。)

・手間貸しとお裾分け。
お米の産地に残る「手間貸し文化」。私たちが農作業でもがいている様子を見て、部落の農家さんが率先して手間貸し(手伝い)をしてくれます。技量的に私たちから手間貸しできることは足下にもおよばず、後日、お礼を持って行ったりします。でも、さらにお礼のお礼がきてしまい、いつまでたっても追いつきません。

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(牧野農園に惜しみなく手間貸しをしてくれ、農家の生きがいもたくさん教えてくれた「うめだのけんさん」。撒いている籾殻薫炭は「たけおさん」のお裾分けのお裾分け。)

・機械の整備工場
機械が大好きな「たなかさん」のところにはいつも誰かがいます。牧野農園も機械の調子が悪いとたなかさんのところに持って行き、数時間後、直った機械と機械構造に少し詳しくなった自分に満足して、戻ってきます。

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(工具と機械と経験の宝庫。わくわくします。)

・おばちゃん達
前々回でも少し紹介したのですが、お母ちゃん達はすごい。何でも知っている。動物とおはなしもできる。お父ちゃん達を支えている。
そして、自給を楽しんでいる。物々交換が根付いている農村なので、珍しいものを作りたがるみなさん。60~70代のお母ちゃん達が、ひよこ豆や観賞用のおもちゃカボチャ、食用菊など、まるで競っているかのように多品種を作っています。

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(家庭菜園の上手な「やえちゃん」。ご自宅に棲みついている鳥の「セキレイ」の話を聞いているところ。)

・部落の若手メンバー
移住者も多いけど、部落で育った人もいます。篤農家、民宿、草木染め、農業ビジネス、アウトドアガイド、自給暮らし、子育て、介護、料理、音楽、大工。みんなが集まると得意分野の話題でにぎやかです。価値観はそれぞれだけど、大好きな仲間です。

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(月一くらいで、皆で焼き肉をします。持ちつ持たれつな関係をじわじわと構築中。)

文中、過去形にせざるを得なかった、「わびこのお父さん」と「うめだのけんさん」。
お二人ともそれぞれに急逝してしまいました。本当にさびしいです。
でも、部落のことをたくさん教えてくれ、私たちに部落への帰属意識をもたらしてくださいました。この部落で生きていくという使命感が、新しく芽生えた気がしています。

challenger

牧野萌

牧野萌(まきのもえ)
北海道 蘭越町

1983年宮城県生まれ。宮沢賢治に憧れ岩手県立大学で環境政策を学ぶ。震災後、野菜を作る勉強をしようと料理人の夫と1歳半の娘と仙台から移住。蘭越町で研修を受けた後、就農、「牧野農園」を開く。トマトを選んだのは、夫が得意なイタリア料理に使えるという理由も大きい。

写真家の眼 牧野萌

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