2019.06.15
変態イモ農家との出会い(後編)
前々回のブログ「変態イモ農家との出会い(前編)」に続き、農家仲間であるど変態芋農家の隊長が自然栽培から慣行農業になぜ転向したのか、衝撃的なきっかけ(僕の中では笑)を書かせてもらいます!
隊長は、就農1,2年目は自然栽培で色々な野菜を作り、うまくできず暗中模索していた時に、とあるきっかけで篤農家集団、農業を科学する研究会の集まりに参加します。
そこでボロクソに言われます、「お前は作物の生理を理解して、根拠を持って作業を行っているのか」と。
そこに集まる農家さん達は、自分の作っている野菜の生理生態を勉強し尽くし、全ての事象を徹底的に科学し、気が遠くなるような細かい点まで根拠を持って行っています。
「団粒構造ができてフカフカの土」というのは大前提の話で、むしろそういう抽象的な表現は使わない。
「微生物がたくさんいる」や「地力がある」ではなくどんな微生物が必要なのか、どの作物を育てるためにどういう要素をどれだけ持った畑なのか、を説明できないと話にならない。
また他の農家さんからも以下のようなことを言われます。
・自分の地域の過去10年くらいの天気を調べて、作付けまでに何回耕耘・播種チャンスがあるのかを知る。
・病虫害や草のストレスのない環境で育った100点の作物を観察する、そうしないと作物のことは理解できない。(農薬や化学肥料を使わないと難しいことです!)
僕も、とある人参農家さんの畑にお邪魔させてもらったのですが、その農家さんは、その年の人参種を採取した場所の当時の気候から種の能力を想像し、それを元に畑作りや播種深、鎮圧力を考えて、砂地の畑で被覆資材や潅水・雨水なしで8月播きの人参を発芽させます。(理解不能・・・笑)
そんなきっかけがあり、隊長は一度勉強し直そうと慣行農業に転向します。
その柔軟さがすごいと思うし、農薬除草剤をどれだけ使わずにできるかも滅茶苦茶考えています。
隊長が柔軟に対応できたのには、自然栽培が目的じゃなかったからという理由があるそうです。
三重県の愛農高校で学び「人づくり、家づくり、村づくり、国づくり」という言葉を大切にしていて、その考えのもと農業で地元を盛り上げるという目標があり、それに向かって邁進しています。
そしていつかは有機農業に戻れるよう、また災害や海外資源枯渇など何があっても大丈夫なように、地域で循環する農業資材を確保しようと試行錯誤しています。
一貫して出来ることから突き詰めていく姿勢に頭が下がるし、僕ももっとやらんと!と思わせてくれます。
そんな変態との出会いに感謝~
(連日の作業に嫌気がさしてふて寝、嫁(変態農業マニア)に怒られる。。。)
川崎亮太(かわさき りょうた)
HATAKEYA
三重県 いなべ市
1986年埼玉県生まれ。青年海外協力隊でエチオピアなどで暮らした経験や、環境問題への関心から、有機農業を始める。神奈川県の「NO-RA〜農楽〜」千葉康伸さんの元で3年間学んだ後、2018年3月、妻と共に「HATAKEYA」を開く。徹底的に学び、「有機だから」という言い訳なく胸を張れる野菜を作ることが目標。