SHARE THE LOVE

2017.12.20

一穂さんは永遠なり

僕は、2013年4月から1年間、「有機のがっこう 土佐自然塾」で有機農業の研修を受けました。

山下一穂塾長は最初に、「今日からみなさん(研修生)とぼくは一つの家族です。ぼくのことをカズホさんと呼びなさい」と言われて以来、僕も一穂さんと呼ばせていただいてきました。

研修中は、ミーティング室では一穂さんのすぐ横の椅子に陣取り、朝・昼・晩、一穂さんから、作業内容や栽培技術から、おススメの本やラーメン屋、男の身の振る舞いについてまで、様々な話を聞く毎日を過ごすことができました。

研修後は、ほとんど連絡を取っていなかったのですが、今年7月のSHARE THE LOVE for JAPANの活動と懇親会で久々にお会いでき、お酒を飲んで、説教を受け、話が出来たことはとても嬉しい事でした。

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(土佐自然塾でのミーティングの様子)

とてもとても残念ながら一穂さんは亡くなりましたが、言いたいこと、やりたいこと、経験されてきたことを一穂さんはたくさんの文章に残して下さっています。
SHARE THE LOVE for JAPANの中での先駆者の言葉や、EM環境マガジン・エコピュアでのエッセイ「天才カズホ君の晴れ掘れ日記」、著書「超かんたん 無農薬有機農業」、「無農薬 野菜づくりの新鉄則」などがありますよ。
どれにも一穂さんの一貫した考えがいろいろな角度から述べられているようで、すばらしく、楽しく、ワクワクしてくる内容が満載です。
なかでも、「超かんたん 無農薬有機農業」の中のエッセイで書かれている一穂さんの就農初期の話は、就農してからの年数が今の自分に近いのに、やられていたことは広く・大きく、とても励まされ、自分ももっと頑張らねばと思わされます。

道なき道を最後まで全力で走り続けた一穂さん、その姿を示し続けていただき、本当にありがとうございました。
その切り開かれた道を少しでも大きくするための一助となれるよう、僕も精進していきたいと思います。

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藤原直樹

藤原直樹(ふじはらなおき)
鳥取県 伯耆町

1973年鳥取県生まれ。愛媛の機械製作会社で10年余り働いた後、高知の山下一穂さんが塾長をつとめていた土佐自然塾で研修し、地元鳥取に戻って「ふじはら農園」を開く。妻と子ども3人の5人家族。

写真家の眼 藤原直樹

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