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この土地の資源を活かして堆肥を作る それが、私の自然への敬意の表れなんです

ぼくの仕事はフンコロガシです。

岐阜県・高山市丹生川町に堆肥作りの名人がいると聞いた。
その堆肥を使えば、素人でも美味しい有機野菜が簡単に作れるという。
有機農業にとって、土作りは最大のポイントである。
これまで取材に訪れた先駆者の方々も、誰もがそう話していた。
もし、その話が本当ならば、その堆肥は有機農業界に革命を起こすかもしれない。
一体どんな人物が、どのような堆肥作りをしているのだろうか。

chapter01

江戸時代以来の城下町や商家の姿が保存され、その風情から飛騨の小京都と呼ばれる高山の町。日本一広い市としても知られ、何とその面積は東京都とほぼ同じという。ただし、その広い市のおよそ9割は山林が占める、山と木に囲まれた町でもある。この土地で、藤原さんは生まれ、育った。両親は農家だった。

「子供の頃の記憶で覚えているのは、農家として苦労していた両親の姿でした。よく、お金に困って、やりくりの相談をしていた姿を覚えています」
そんな両親の姿を見て、子供ながらに、将来は農家が苦労しないような農業のあり方を作りたいと、いつも考えていた。

「百姓が豊かに暮らせるには、何が必要なんだろうって考えていました。それが、中学二年生の時です。いきなり、頭の中に、総合農場のイメージが浮かんだんです。牛や豚や鶏などの家畜がいて、そこから出る堆肥を使って農作物を作るような、循環型の農場のイメージです。本とかテレビとかの影響があったわけでもないんです。いきなり、それもかなり具体的なイメージが頭に降ってきた。あの時から、今の僕のすべては始まったんです」

迷わず、農家になる道を選んだ。まずは、野菜農家から始めた。両親の仕事を見ていたので、農家の仕事はおおよそ理解していた。そして、中学二年生の時から頭に描き続けてきた循環型の総合農場をしていくには、健康な畑の土と、安全で美味しい作物を育てられる堆肥を生み出す仕組みを作ることが必要だと気付いていた。

「有機農家の先輩たちに、『土を作るってどういうことですか?』と聞くと、大抵、『7、8年くらいかけて、土を育てるんだ』と言われます。でも、それじゃあ、その間、若い農家たちはどうやって飯を食えばいいのか。そういうやり取りも何度も目の前で見ていたので、酪農を始めとする畜産が適正化されれば、堆肥から有機肥料が生み出せる。そして、それを使えば、自分の総合農場だけでなく、若い農家たちも、土作りにそこまで長い時間をかけなくても美味しい野菜が作れるようになると思ったんです」

そこで、野菜農家をする傍ら、知り合いの酪農家に頼み、堆肥をもらった。酪農業では、日々大量に排泄される牛の糞を堆肥化して処理をしているからだ。
「酪農の堆肥は水分量が多く、いい堆肥にしにくいというのが当時の定説でした。そこで、自分の総合農場に酪農を取り入れる前に、牛舎から出る堆肥を、よりいい堆肥にする実践をしなければと思って、堆肥を最適な肥料化する練習を始めたんです」

chapter02

ひとくちに堆肥を肥料化するといっても、やるべきことは山ほどあった。例えば、堆肥につきものの臭いの問題。牛舎を訪れたことがある人なら、あの独特の強烈な臭いは分かるはずだ。だが、藤原さんが堆肥作りをしている牛舎に来ても、不思議と臭いがしない。

堆肥に手を突っ込んでみる。じんわりと暖かい。堆肥が発酵することで熱が生まれている。掬って嗅いでみると、山の腐葉土のようなちょっと酸っぱい臭いがした。ほじくり返した堆肥には、巨大なミミズを始め、見たこともないような虫がたくさんいた。

「この酸っぱい臭いは発酵の臭いです。見てください。ショウジョウバエがたくさんいるでしょ。生ゴミとかにたかるイエバエじゃないですよ。ショウジョウバエは、発酵生成物を餌にするんです。ある時、この堆肥を使っている一般の方から「畑に虫が増えた」と連絡が来たんです。クレームかと思ってよくよく聞いてみると、増えたという虫は作物に何も悪さをしていなかった。それよりも、堆肥自体を食べていると言ってました。つまり、それだけ、この堆肥の中は豊かであるということなんです。

それに、こうして、堆肥特有の臭いを出さないようにするには、堆肥中の微生物を応用すればいいんです。それを知ってからは、とにかく、色々な資材を試しました」
微生物の応用とは、堆肥の中に、多様な微生物が住めるような環境を作り、臭いが出ないようにすることで、気づくと、野菜農家はそっちのけで堆肥作りにのめりこみ始めた。平成元年の頃のことだ。

山の奥深くに分け入っては広葉樹の森の腐葉土と沢水を持ち帰り、土壌菌の培養をしたり、有用菌などを使った堆肥作りの実験も重ねた。有用菌を使うことで、臭いも消せ、良い堆肥に欠かせない、多様な微生物の活動を生み出すことができるからだ。来る日も来る日も堆肥にまみれた。だが、なかなか思うような堆肥は作れない。

「自分が堆肥の肥料化を考えついてしまった以上、やめるわけにはいかないと思ったんです。自分の総合農場のため、若い農家のため、それに、堆肥の出口がなくて困っている酪農家のため。それに、なにより、最後は土に、自然に還る堆肥を作れば、これからの有機農業と地球環境のためになる。金儲けは考えもしなかったです。それよりは、生意気ですけど、使命感みたいな気持ちでした」

ようやく転機が訪れたのは、15年前だった。知り合いの農業法人社長が、ある乳酸菌を紹介してくれた。その乳酸菌は、大腸菌などの悪玉菌を分解して、有用微生物の働きを活発化させてくれる働きをするという。そこで、この乳酸菌を牛の餌に混ぜて食べさせると、糞からあの刺激臭が消えていた。同時に、牛たちの腸内環境が整い、免疫力も高まることで、牛の健康状態もどんどん良くなった。

「乳酸菌は必要だとずっと探していたのですが、なかなか再現性の高い乳酸菌に出会えなかった。この乳酸菌は再現性も高いし、乳牛は乳質も良くなったんです。ようやく自分のイメージに近い堆肥作りが見えてきました。江戸時代は人間の糞尿を堆肥として使っていましたが、現代の食生活を考えれば人間の糞尿は使えない。でも、この堆肥なら、人間と家畜とそこから生まれる野菜の有機的なつながりも作れるんです」

仮に非農家であったとしても農業をしていると思う。それくらい、農業が好きです。

chapter03

その後も、何年もかけて試作を繰り返し、ようやく人前に出せる堆肥が作れるようになった。そこで、まずは、地元の農家などの仲間に使ってもらった。その内の一軒である『まんま農場』の和仁一博さんに話を伺った。和仁さんは、この『先駆者の言葉』でご登場いただいた、日本一の米農家と呼ばれる遠藤五一さんが金賞を受賞した『米・食味分析鑑定コンクール』で、5回も金賞を受賞した農家さんだ。その和仁さんが、野菜の栽培には藤原さんの堆肥が欠かせないという。

「この堆肥は、農家にとって心強い味方です。特に、無農薬での栽培をしている方ならなおさらです。堆肥が畑に良いことは分かっているんですけど、本当に良い堆肥というのが、まず手に入らないというのが現実なんです。それは、牛の育て方や、普段の飼料の中身が分からないからです。藤原さんの堆肥と出会って、栽培した作物の生命力の違いを実感しました。味わいも良くなりましたし、環境に負荷をかけない点も優れていると思います」

和仁さんの畑に行くと、にんにくが育っていた。驚いたのは、葉の色が濃い緑ではなく、淡い緑だったことだ。それを藤原さんに聞くと、「色の濃い小松菜などを除けば、野菜はそもそもが淡い緑色なんです」と教えられた。緑色が濃いほど、味も美味しく、健康な野菜だと思っていたので驚いた。色が濃くなるのは、無機体窒素が多いからだそうだ。

「大抵の牛たちは飼料を過剰に与えられているんです。高タンパク、高カロリーなものをたらふく食べさせる。そうすると、糞も栄養過剰になって、結果、窒素やリン酸やカリといった堆肥に必要な成分も過剰になるんです」

では、専業農家ではなく、一般の方にとってこの堆肥はどうなんだろうと思い、この堆肥を使い続けているという、戸田柳平さんを紹介していただいた。戸田さんの家業は、江戸時代から高山の地で170年以上も続く窯元で、仕事柄、土に関しても深い関わりを持っている。

「自宅で有機野菜を育てているんですが、藤原さんの堆肥は、とにかく力がすごいです。野菜の味が変わりました。食べるとチャージされる感じというか。本来の味が出ているように思います。鶏糞や油かす、ぼかしを使ったりもしてきましたが、全然違いますね。それに、職業上、普段から土の匂いに触れているのですが、藤原さんの堆肥からは、腐敗の臭いではなく、微生物を繁殖させる発酵の匂いだけがしていることも感心しました」

そして、現在、藤原さんの堆肥は、袋詰めし、より熟成をさせたものを『みな土』として。農家さんなど、堆肥を寝かせることが出来るスペースを持ち、直接購入に来られた方には『Revive soil』として販売している。

「高山のファーマーズマーケットで売り上げNO.1のおばあちゃんがずっと使ってくれていたり、神奈川の厚木で趣味でバラを作っている方も、バラの出来がすごく良くなって近所で評判になってるって教えてくれました。こんな風に、一般の方々も家庭菜園として、まずこの堆肥を使ってみてもらいたいです。その結果、どんな野菜が出来るか。自分自身で育てて、自分自身の目と舌で確かめてもらえば分かってもらえると思うんです」

chapter04

およそ30年。いや、中学二年生の時に描いた総合農場のヴィジョンをスタートとすれば、40年以上もかけて、たったひとりで始めた堆肥作り。それが、ようやく実を結び始めた。

しかし、藤原さんは、それで良しとはせずに、さらに前へと進んでいる。堆肥作りに欠かせない、もうひとつの貴重な資源であるオガコ(おがくず)を地域の資源で作ろうと考えたのだ。冒頭にも書いたように、高山は山と木の町だ。ところが、地元の林業は衰退する一歩で、山も人手が入らず、植林された杉が放置されたままになっていた。現在の藤原さんの堆肥作りに使用しているオガコも隣県の富山から運んでいる。

「これだけ山に囲まれた土地で、林業や製材所が立ち行かなくなってきていることと、自分の堆肥作りにオガコが欠かせないことを考え合わせて、地元の間伐材から割り箸を作れないかと考えたんです。割り箸製造で出てくるオガコは堆肥作りに使えますし、割り箸は製品化出来ますから」

森に間伐の手が入れば、土砂崩れなどの災害も防げ、森の再生につながる。堆肥作りの一方で、林業や製材所とも連携を図り、オリジナルの割り箸製造機も有識者の協力を仰ぎながら作った。この取り組みが稼動すれば、森は蘇り、林業に経済的な潤いをもたらし、そこで生まれた資材から有機農業に欠かせない堆肥が生まれる。まさに、中学二年生の時に描いた総合農場の仕組みによって、藤原さん個人単位の農場だけではなく、地域全体がひとつの総合農場になることが出来ると考えているのだ。

「今は、使用済みの割り箸も回収して、それを粉砕して、また畜産の現場に資材として戻す試作も始めています。そこまで出来れば、地域に大きな循環の輪を作ることができるんです。そうやって、林業、畜産、野菜と、個々に得意分野を持った人たちが集まる有機的なチーム、有機農業を軸とした循環型のコミュニティを作りたいんです」

自分が生きているうちに、すべての取り組みが完成しなくてもいいと藤原さんは言う。
「いつも、『何をもって、成功といえるか』と、自問自答するんです。確かに、この堆肥を自分だけで使って特定の野菜を育てれば金儲けは出来る。でも、そういう自分の欲望だけを満たすお金には体温がない。それは、化学肥料を使って、楽に作られた野菜に体温を感じないのと同じことなんです。人と人がつながって生み出す体温を感じるお金にしないといけないんです。」

「農業という営みをする以上、自然の摂理の力をいただくわけですから、なるべく自然の邪魔をしないようにする。だから、この堆肥は僕なりの自然への敬意の表れなんです。そして、ひとりでも多くの人と、特に若い農家さんや一般の方にこの堆肥を手渡すことで、自然と調和した社会作りのささやかなお手伝いが出来れば、こんなに嬉しいことはないです」
そう言うと、自分の言葉に照れたのか、朗らかに笑って言った。

「僕はただのフンコロガシですから」

photo/Kentaro Kumon text/Takashi Ogura

藤原孝史(Takashi Fujiwara)

1956年、岐阜県高山市丹生川町生まれ。83年より、野菜農家から畜産業の世界へ入る。岐阜県で初の農業法人『B.C.FARM』設立。同時に、堆肥作りの研究を開始。並行して、酪農に関するコンサルタント業も始める。2005年頃より、自身で手がけた堆肥を『revive soil(リバイブソイル)』として発売開始。その後、より熟成を重ねた堆肥『みな土』も発売。現在、農業生産法人『B.C.FARM』有限会社代表、株式会社『spirit』代表。

写真家の眼

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