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福島の再生をめざすげんきな農業家

有機とは人と人とのつながり農業でもそれを忘れてはいけません。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
農業を勉強した宮沢賢治が、農業従事者の心がけについて書いた一節だ。
福島・二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんの活躍を見ていると、その言葉が思い浮かぶ。
地域を盛り立て、いわゆる「3.11」の打撃も乗り越えようと奮闘中の菅野さん。
人とつながり、地域ぐるみで再生をめざすことこそ、まさに有機農業と感じられる。

chapter01

「“有機”は農法だけでないんです。人と人との関係を含めて、地域を作っていくもの。それが本当の有機だと思って、農業をやっています」
福島・旧東和町(現在は、旧二本松市、安達町、岩代町と合併して二本松市)で、「あぶくま高原遊雲の里ファーム」を営む菅野正寿(すげの・せいじ)さんはそう語る。

菅野さんの農業をみると、その言葉通り、人と人とのきずなを大事にしていることが印象深い。
農家の仲間たちと堆肥づくりに励み、困っている農家に手をさしのべ、自分たちの農産物の販路拡大のために知恵をしぼる。

なぜ、そうなのか。答えは、中山間地という独特の地形にある。広くまとまった耕地面積が確保できない条件不利地域。かつ、そもそも桑とタバコと牧畜がおもに営まれてきた歴史が物語るとおり、天候にも左右されない作物が向いている。
「平らな土地は一坪でも耕す。先人の教えです。山間地ゆえ朝晩の温度差があり、野菜に甘みが増すんです。とくに豆類には適していて、食べたひとの評判がいいです」
菅野さんは解説してくれる。

人と人が手をさしのべあって、おたがい助け合わないと、農業をはじめ、生活を営んでいくのがむずかしい。そこで生まれ育ったからには、伝統的な人間関係を重視した暮らしをしていく必要がある。このことは今も変わらない。

農家の7代目になる菅野さんは、自分の親世代の苦労をよく知っていた。自分がまかされたあとは、理想とする農産物づくりと、地域が食べていけるだけの収益を上げるという、2つを追求することに心を砕いてきた。

「自分の所有している田んぼが約1ヘクタール。加えて、高齢で耕作できなくなった農家や会社勤務の農家から“うちのもつくってくれないか”と頼まれてます」
自分が断れば耕作放棄地になってしまうと思い、今は3ヘクタールで米をつくる。
除草作業を見ていると、際限ない面積にていねいに刃を当てていく、気の遠くなりそうな作業だ。

「自分の田畑だけなら問題なくやっていけるけれど、それではすまないんですよね。地域で生きるというのは、助け合いなんです」

助け合いの精神は、田づくりだけでなく、共同で堆肥づくり、道の駅を拠点に地元の農産物の加工品を売る販路開拓など、多方面に向かう。菅野さんが住む旧東和町のみならず、広く二本松市の農業の再生を実現に貢献しているのだ。菅野さんはその立役者である。

chapter02

「はいどうぞ、食べてみて」
菅野さんが無農薬で育てたトマトをもぎとり、いとおしそうに眺めてから、渡してくれた。軽い酸味をともなった、さわやかな味が口中にひろがる。やさしいトマトである。

菅野さんが有機農法で作るトマトや米には熱心なファンがいる。
「でも、市町村合併があったり、農産物の輸入政策が逆風になったりで、自分ひとりで収益を追求している時代じゃないと思いました」

地元で盛んだった養蚕も、輸入品に太刀打ちできず衰退。養蚕農家は最盛期に旧東和町だけで700戸あったのが、いまは4戸のみ。
嬬恋のキャベツや会津平野の米など、大規模機械化、産地間競争の波のなかで、中山間の人口7000人ほどの旧東和町の農産物は、市場から忘れられてはじき出されてしまう。

そこで、東和という里山の地域資源を活かした循環型の特徴を活かすことこそ重要だと、日本の農業の流れから、菅野さんは判断した。
加えて、地域での協力体制の確立。

「地域を盛り立てるためには、ある程度の規模も必要です。たとえば都会でトマトの需要が1週間100ケース(2400個)あったとしたら、1戸ではまかなえません。すると、注文はよそにいってしまいます。でも何戸かで協力したら、注文に応じられます。仲間づくりと東和の地域ブランドでそれが実現していくんです」

一匹狼で孤立していては、全体がよくなっていかない。有機農業でも同じだと菅野さんは言う。
「いくら有機がいいといっても、(農薬使用が)ゼロか100(パーセント)の選択をいきなり迫ったら、たいていの農家は反発するでしょう。化学肥料や農薬という化学の進歩を否定するのではなく、その力を借りながら、徐々に無農薬に変えていくほうがいいんです。言葉でなく、行動。自分がこつこつやっていると、周囲がついてきてくれるんです」

おかれた中で最善をつくす、そこに人はついてくる

chapter03

「僕が子どもの頃は、里山での下草刈りは日常的な仕事でした。30年後、50年後のために木を植える。次代のために耕す心があったのです」

菅野さんは、自分の田の前に立ち、周囲に広がる低い山々を指さす。背後には阿武隈山系がひかえる。
森の木がためた雨水が、大地に落ちたあと地中を通過する過程でミネラル分を含んで田畑へと流れ出す。それが地元の農産物を豊かに育てる栄養となってきた。

菅野さんは、農業者大学校を卒業してから、この地域で有機農業に取り組んでいた。いい土づくりのために有機の堆肥やぼかしを手がけたり、病害虫対策もいろいろ試みた。
幸い、さきに触れたように、旧東和町は養蚕が盛んで、農薬のついた桑の葉は蚕(かいこ)が嫌うため、使用量が限られていたのもプラスに作用した。

「ほかにはもっと条件のいい土地がたくさんあるのは知っています。でも僕たちにとって、生まれ育った場所で農業をするのが当たり前なんですよね」

無農薬あるいは減農薬で野菜を作って都市部に出荷し、桑の葉茶など地元の産物を加工して販売する、いわゆる六次産業化でも業績を上げている菅野さんと仲間たち。
培ったノウハウがあれば、よりよい条件の土地で、より大きなビジネスでの成功を手に出来るのでは。その問いかけに対して、土地への愛着を菅野さんは口にするのだった。

菅野さんたちのがんばりに加え、里山ブームが世間で起こり、各地から東和を訪れるひとが増えてきた。「農業なんてやるもんじゃない」というぼやきが聞こえなくなった。
よかった、と菅野さんは思ったという。

ところが大きな試練がやってきた。
2011年3月11日の、東京電力福島第一原子力発電所の事故だ。大きな被害を受けた双葉郡や南相馬市は、山をひとつ越えたところだ。
幸い菅野さんの地域は、風向きや地形が味方になり、線量は比較的低かった。それでも、風評被害により、農産物の出荷量は落ち込んだ。

「春の山菜や秋のキノコがあんなに楽しみだった山が、目に見えない放射能のせいで、ある意味死んでしまう。自分には大きなショックでした」 これこそ、菅野さんが経験した最も大きな挫折だと言う。

しかし乗り越えていかなければ明日はない。
「田んぼの線量はもちろん、出荷する農産物はどれも放射能測定検査してから出荷するのは当然。見えない放射能を見える化にするために大学研究者と共に実態調査をすすめてきました。それを地域の方や集落のお年寄りにも伝えたんです」

この地域を死なせたくない。菅野さんは数え切れない試行錯誤を重ねる。そして機械で土を深く耕したところ、線量は激減。2011年夏、表土の放射線量は1万5000ベクレルだったが、深耕のあと作った大根はわずか17ベクレルだった。

大学研究者との調査のなかで、腐食の多い肥沃な土壌ほど放射能は土中に強く吸着、固定化されるとわかった。農産物には移行しない。
つまるところ、有機的な土づくりが復興への光りなのだ。

この悲惨な事故のなかで、プラスになるいい出会いがたくさん生まれた、と菅野さんは話す。
「支援をいただいたNPO、NGOはじめ市民団体や企業といい関係が生まれました。福島に思いを寄せていただき、農産物の販売支援や農業体験に多くの方が訪れてくれるようになりました」
それを都市と農山村の新たな関係づくりへと発展させたいと菅野さんは考えている。

人と人のつながりを基盤にすることで、多かれ少なかれ放射能被害に遭った地域が、試練を乗り越え、新しい時代へと入っていくことができる。
それを少しずつ実感している菅野さんなのだ。

chapter04

「うちの田んぼをみてください」
菅野さんは嬉しそうな表情で、穂が垂れ始めた稲を指す。

「茎が太いでしょう。煙草ぐらいが理想的というんだけれど、そのぐらいありますよ。人間なら骨太。稲が本来持っている力を引き出す。教育と同じ。その子どもの持っている力を引き出すことで人間らしく健康的に成長するように、稲も立派に育つんです」
隣の田も状態がいいです、と付け加える菅野さん。さきにも触れたが、つねに地域全体を見ているのだ。

特定非営利活動法人として「ゆうきの里東和・ふるさとづくり協議会」を立ち上げたとき初代理事長になった菅野さん。「道の駅ふくしま東和」で、「東和げんき野菜」をはじめ、桑の葉茶やいちじくのコンフィチュールなど地元の農産物加工品、手づくりの伝統的民芸品、そして有機堆肥である「げんき堆肥」などを販売する。

「げんき堆肥」は、しょうゆやかつおや昆布のしぼりかす、製麺屋のくず、そばがら、あめ玉のくずなど地元産業からの残滓を役立てる。多様なミネラルが多様な土をつくる。土に混ぜ込むと、根の生長によい微生物のすみかとなり、団粒構造によって通気性も水はけもよくなる。
「いい作物はいい土づくりがベース」と仲間とともに取り組んできた。

「“トマトの味に深みが出てきたし、ニンジンが甘くなった、しかも病気も減った”ということが口コミで広がり、私の集落でも多くの農家が使うようになりました」

菅野さんが手がける米や野菜の出来をみて、地域の人が、有機農業のよさを知ってくれるのが理想的だ。気づいてもらえるまでは待つ、という姿勢で地域との共生をはかるのが菅野さん流。

「いまの地域に必要なのは−−」
菅野さんは言う。
「視点はクローバルに実践はローカルに。いい土づくり、人づくり、そして地域を耕すこと。この3つだと思います。地域にある資源、里山の恵み、高齢者や婦人、新規就農者などそれぞれが持ち場で力を発揮してくれる。そしてつながっていく、それが有機農業の価値ではないでしょうか。大きいことはいいことという時代は終わりました。小さいもののなかにこそ光るものがある。そんな地域のネットワークこそが大事だと思います。人が生きる糧である農林漁業を守る政策、山林や水をいかした再生可能エネルギーにより地場産業を産み出し若者の雇用をつくっていきたい」
これが地域の再生なのです、と語る菅野さん。みなでつながり、次の世代へと向かう姿勢こそ、未来への希望に思える。

photo/Kentaro Kumon text/Fumio Ogawa

菅野正寿(Seiji Sugeno)

1958 年、福島県二本松市旧東和町生まれ。農林水産省農業者大学校卒業後、農業に従事。
「遊雲の里ファーム」主宰。地域再生のための里づくりを謳うNPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」初代理事長、「福島県有機農業ネットワーク」代表などを務める。著書に「放射能に克つ農の営み」「原発事故の農の復興」など。

写真家の眼

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