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先駆者の言葉 vol.12 農家にとって未来につながる道を探すのが私の仕事 山梨県 牧丘町 澤登早苗

有機農業は特別じゃない。当たり前の農業なんです

牧丘町に巨峰栽培を定着させた父・芳(かおる)さんの後を継ぎ、
ブドウとキウイフルーツの有機栽培を手がける澤登早苗さん。
昨年は、有機栽培が難しいとされたブドウについてのお話を中心に伺った。
その時に澤登さんは「農家にとって未来につながる道を探すのが私の仕事」と語ってくれた。
果樹農家だけではなく、大学で教授もしている澤登さんが考える
農家にとって未来につながる道とは、どのようなものなのか。
その答えを知りたくて、かつての教え子たちが援農に集まるという畑へ伺った。

chapter01 人間が生きる本質が農村にある

中央自動車道の勝沼インターチェンジで高速を降りると、果物の王国に分け入ったような気分になる。道路沿いには、果樹園や直売所、ワイン醸造所の看板が次々と現れ、ブドウや桃がたわわに実る艶やかな景色に包まれる。そんな果物王国を見渡せる、なだらかな坂の中腹ある『フルーツグロアー澤登』に到着すると、すでにキウイフルーツの作業の手伝いに来ている10名ほどの人たちが到着していた。卒業生ばかりかと思っていたが、中には数名の男性たちもいた。
「援農に来てくれているのは、恵泉の卒業生たちと、ウチの研修生だった人たち。それと、有機農業に関心が高くてあちこちの農家さんの所へお手伝いに行かれている方たちです。一般に募集しているわけではないので、今日初めて来る方も、知り合いの知り合いというような関係ですね」

毎年来てくれる人たちとは、親戚付き合いのような感じだと澤登さんは言う。 「それに、ずっとウチのブドウやキウイフルーツを楽しみにしてくれているお客さんたち。私たちと援農に来てくれる方とお客さんはコミュニティみたいな感じで繋がっているんです」

援農は4~5人1組となって、分担された区画のキウイフルーツの摘果をしていく。小ぶりな実を落とすことで、収穫するキウイフルーツに栄養を集中させるための作業だ。頭上を覆うキウイフルーツに手を伸ばしながら摘果していくのは、なかなかハードな作業だが、もちろん金銭的な報酬を期待している者はいない。その代わり、たっぷり畑で汗を流した後は、みんなで近くの温泉に浸かり、この日のために澤登さんが準備していた食材でBBQをしながら、父・芳さんが遺してくれたビンテージ・ワインを楽しむ。

「日頃、都市で暮らしている人がこうして農村に来てくれるのは、多分、人間が生きる本質が農村にあるからだと思うんです。今、社会で騒がれているような閉塞感や、以前だったら考えられないような問題や事件が起きているのは、土に触れなくなってしまったからじゃないかと思うんです」

確かに、夜、BBQをしながら談笑する人たちは、満ち足りたような穏やかな表情をしている。束の間の休日、自然の中でヘトヘトになるまで体を動かし、ささやかながら自然環境に負荷をかけない農法で作物を育てる手伝いができたことと、そして果物を待っている人のために役に立てたことの喜びは、日頃の生活では味わえないものだ。
それに、こうして生産者と一緒に畑に立ち、農作業を手伝うと、有機農業に対する思いが、普段の消費者としての自分の目線とは違ってくる。

「でもね、本当は有機だとかなんとかだとか言わなくても、当たり前に行われている農業が有機になって欲しいんです。有機農業を特別な農業って言っているウチはまだまだ伝えられていないと思っています」

chapter02 園芸は人と人を繋げるツール

「とにかく、出来るだけ多くの人に作物を作る体験をして欲しいんです。それは、人が生きる上での基本的な人権のひとつだと思うんです。例えば都市部に暮らしていても、自給自足は無理かもしれないけれど、ちょっとしたスペースを見つけて、誰もが簡単な野菜くらい自分で育てられるようになれたらいいなと思っています。そうすれば、普段、自分たちが何気なく食べている野菜について知りたくなったりするし、身近な問題として農業も捉えてもらえるようになると思うんです」

土に触れ、野菜を育てることが基本的人権のひとつと言われると大げさに聞こえるかもしれないが、澤登さんは、以前に、日本の提携をモデルにした、CSA(Community Supported Agricultureの略。その地域に住む消費者や販売者がその地域にある農業を支援する地域支援型農業)をアメリカに広めた、エリザベス・へンダーソンの話が忘れられないという。
「アメリカで9.11のテロが起きた後、農場に来る人たちの雰囲気が以前と変わったっていうんです。それは、アメリカ社会全体が疑心暗鬼になって、隣人まで疑うようになったから。そんな社会での唯一の救いが農場に来ることだって。つまり、対人間ではなく、畑で動植物に触れて、農作物が育っている姿を見ることでしか、リラックスできない、自分自身を解放できなくなってきているという話だったんです。日本にはそんな社会になって欲しくない」

この話には、澤登さんが大学で教鞭をとり続けている理由も含まれている。なぜなら学生たちは、やがて社会に出たり、家族を持ったりと、未来の社会を担っていく人材である。そんな学生たちに、澤登さんは有機農業という小さな種を蒔き続けているのだ。そして、その種がやがて有機農業が当たり前の農業とされる未来の社会を作る礎となってくれると信じているからだ。

「私は、農家の長女として、農業の大切さを伝える人になりたいという思いがあるんです。今、私が所属している学科は、2013年に新設された社会園芸学科といって、自分のための園芸ではないんです。生産することや趣味が目的の利己的な園芸ではなく、むしろ、園芸を人と人を繋げていくひとつのツールとして考え、その結果として、暮らしを豊かにし、コミュニティの再生につながるような利他性や公共性のある新しい園芸の実践をしているんです」

では、大学ではどんな授業がされているのだろう。それに、学生たちは、澤登さんの思いをどんな風に捉えているのだろうか。実際に、大学の授業にも伺わせてもらうことにした。

たった1本のキュウリでも自分で育てることの大切さを知った

chapter03 有機農業を通して教育している大学はなかった

「はい、出席取りまーす!」
澤登さんの声が、晴れ渡った空の下に広がる畑に響いた。

東京都多摩市にある恵泉女学園大学で1994年から教鞭を執る澤登さんにとって、この畑は、何物にも代え難い大切な教育の現場であり、有機農業を未来へ伝えるための発信の場でもある。
「元々、恵泉は園芸を教育の礎の一つにしている学校なのですが、93年に農場実習を有機栽培で行える人を探しているがやってみませんかというお話をいただいたんです。当時は他に有機農業を通して学生に教育をしている大学はありませんでした。それで、自分がやってきていることや、面白いと思ったことを伝えられそうで、お受けしたのが始まりなんです。94年から全学必修の農場実習プログラムである「生活園芸」を担当し、新学科の開設にもかかわってきました」

父・芳(かおる)さんの後継者としての果樹農家と大学講師。二足の草鞋を履いた生活は、もう、20年以上になる。学生たちは、机上での勉強だけでなく、学部学科に関係なく1年生は全員自ら畑で季節の作物を育てる経験をしながら、有機農業を体感していく。学生たちとゼロから始めた有機栽培は、当初、土壌改良も進まず、作物も思うように穫れなかった。

天候に左右される農家の仕事と、毎週決まった時間に授業をしなくてはならない教職の両立。身体的な負担も少なくない。現に、取材当日、ブドウやキウイフルーツの管理に追われて疲れ切っていた澤登さんは、畑での授業を終えると、その場に座り込んだまま、しばらく立ち上がれないほどだった。それでも、学生たちと向き合うことを辞めたいと思ったことはないという。

澤登さんの思いが学生にも届いていることは、学生たちの言葉からも伝わってくる。
「自分が食べていたものって、こうして育ってきたんだって実感します。畑にいると、野菜の力を感じます」
「自分でやってみると、『農薬を使ったら楽にできるのに』って思ったりもしました。でも、こうやって手間をかけて、自分が育てたってこともあるんでしょうけど、きゅうりもトマトもスーパーで売ってるものより、断然美味しいんです」

畑から校舎へと戻る道すがら、澤登さんがこんな話をしてくれた。
「ある時、学生が1本しか穫れなかったキュウリを自分で食べずに実家に送ったんだそうです。そうしたら、お母さんがそれを漬物にしておいてくれて、その学生が帰省した時に一緒に食べて、すごく嬉しかったっていう話をしてくれたんです。その時に、手をかけて自分で育てるということが、すごく大切なんだなと実感しました」

慣行農業も含め、農業を語ろうとすると、生産の現場はこうだとか、消費者の動向はこうだとか、大抵は生産者と消費者を分けたところから話は始まる。だが、たった1本でもきゅうりを育てた学生は、育てる以前の自分とは、食べ物や農業に関する意識が明らかに変わったはずだ。
澤登さんがいうツールとしての園芸とはそういうことだ。誰もが消費者であると同時に生産者としての自覚と意識を持てば、食や農業の問題がもっと身近なこととして捉えられる。その結果、あるべき農業の姿が見えてくるはずだと考えているのだ。

chapter04 この土地で作ったワインを世界に届けたい

ひとりの果樹農家としても、まだまだやりたいことが澤登さんの胸の内には秘められている。
「日本で果樹の有機栽培が少ない一番の理由は気候風土ですね。古くから日本にあった柿とか梨とかを除けば、大抵は外国から持ってきたものですから。ところが、それぞれの果樹の品種を新たに作っていくときに、実の大きさとか糖度とかばかりに気を取られて、肝心の栽培のしやすさが考慮されていないんです。『こんなに大きくて、糖度も高いんだから消毒もしょうがないよね』で止まったままなんです」

澤登さんは、ニュージーランドに留学していた時、試験場で新たな品種を開発する際に、まずは農薬をかけずに栽培のしやすさをしっかりと見極めてから育種している様子を見て、日本とのあまりのギャップに驚いたそうだ。
「果樹は、野菜とは違って永年作物です。野菜は、半年や一年ごとに種を蒔きます。でも、果樹の場合は、一回土作りをして、樹を育て始めたら途中で変えることはできない。試行錯誤を繰り返すというようなトライ&エラーの実践ができないんです。それに、苗が植えられた土壌で幼苗の時にどういう育ち方をしたのか、根にどういう微生物が付いたのかというのが、その樹1本1本の一生にずっと付いて回るので、農薬や化学肥料をあげて育てた果樹は、ずっと農薬や化学肥料がないと育たないようになってしまう」

話を聞く内に、野菜については有機を求めながらも、果樹になると一転、糖度の高いものこそが美味しい果物だと無邪気に考えてしまう自分たち消費者の意識が、果樹の有機栽培が少ないことの最大の原因なのではないかと思えてきた。
「確かに、そこのジレンマはあります。でも、味の爽やかさや後味の良さを喜んでくださるお客さんの声が、教えてくれるんです。ウチの果物の美味しさを。だからこそ、作った人が作ったものに責任を持って届けること。そして、「こういう思いで作っています」ということを、しっかりと消費者に届けたいんです。そのためには、自信を持って『食べてください』って言えるものを作らないと」

味覚の好みは千差万別だが、澤登さんが届けたい『美味しい』は、糖度のように数値だけで判断出来るものではない。畑で懸命に根を張り水を蓄え、ありのままの土壌と共生しながら、懸命に生きてきた果樹が育んだ結晶としての実をいただく時、それは、ブドウやキウイフルーツの実を通して、澤登さんの畑や周囲の自然環境そのものを丸ごと食べることでもあるのだ。

果樹農家としてやりたいことのひとつに、ワイン作りがある。
「これまでも、自分たちのブドウでワインは作ってきたんですけど、醸造までは手がけられなかったんです。今後は、醸造まで自分で手掛けていきたいと思っています」
ワインは、それだけで世界共通の言語だから、もっとたくさんの人に自分の思いを伝えることが出来る。

「世界中でワインって作られてますよね。それぞれの土地の特徴が味わいに出ている。海外へ行くと、向こうのワイナリーの方々とお互いのワインを交換しているんですけど、すごく喜んでくれるんです。だから、この土地で、もっと色んな方々と一緒になって、ブドウ作りからワインの醸造まで手掛けていって、この土地だから作れる完全無農薬・無添加のワインを届けていきたいと思っています」

大学教授と果樹農家。澤登さんが二足の草鞋を履き続ける理由が分かった。人と人を園芸というツールで繋げることと、果樹本来の美味しさを届けること。そのふたつの道がひとつになった時に、初めて、有機農業は当たり前の農業となる。その時にこそ、ようやく澤登さんが探していた、農家にとっての未来へとつながる道が開けるのだ。

photo/Kentaro Kumon text/Takashi Ogura

澤登早苗(Sanae Sawanobori)

1959年、山梨県牧丘町生まれ。81年、東京農工大学農学部農学科卒業。82年、文部省奨学生としてニュージーランド・マッセイ大学大学院に留学、ディプロマコース修了。90年、東京農工大学大学院連合農学研究科修了。農学博士。専門は農学(園芸学)。恵泉女学園大学・大学院教授、日本有機農業学会会長、やまなし有機農業連絡会議代表も務める。

写真家の眼

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