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農家とはエンターテイナー 究極のサービス業 ~〈有機のがっこう 土佐自然塾〉の1年間を追う 後編~

今日から農業一本となったあの時の幸福感は忘れられない

久しぶりの再会を心待ちにしていた。
春に〈有機のがっこう 土佐自然塾〉に入塾して以来、
文字通り農業漬けの日々を送ってきた2人の塾生に
山下さんの下で、何を学び、何を感じてきたのか聞きたいことはたくさんあった。
そして、彼らに山下さんはどんな思いを託しているのか
有機農業の先駆者が、後に続く者達に届けたいメッセージとは

chapter01

「どのタイミングで外気に触れさせるかが肝心なんです」
横山護さんは、そう言いながら、濡れた新聞紙をめくると、育てているソラマメの苗を見せてくれた。あまり早く外気に触れさせると、寒さで苗は育たない。かといって、過保護にしすぎても、植えつけてからの生育が良くないという。何枚もの濡れた新聞紙をめくりながら「これは、もう大丈夫」、「こいつはまだだな」と呟きながら瞬時に判断していく。その判断の速さと、無駄のないキビキビとした動きは、ここで過ごしてきた日々が如何に実りあるものだったのかを物語っていた。

「毎日毎日、生き物と接してきて、植物の声が聞こえるって言ったら変ですけど、何を求めているのか分かるようになりました」
春の取材で、塾生に苗に水をやるタイミングを問われた時、山下さんが「苗に聞いてください」と言っていたことを思い出した。苗にどれくらい水をあげればいいかを感じる感覚。そして、水分量を決定する論理と、それを裏付ける技術。〈有機のがっこう 土佐自然塾〉のポイントとも言える、感覚、論理、技術が三位一体となって、横山さんの体に沁み込んでいることを実感する。

それは、もう1人の小林正明さんも同様だった。朝のミーティングでのこと。山下さんがキャベツへの追肥を指示すると、即座に「畑の中心のあたりのキャベツは確かに葉色は薄いですけど、隅の方のキャベツは良く出来ていると思いますが、すべてのキャベツに追肥しますか」と質問をしたのだ。
山下さんは言う。
「2人に限らずだけど、質問してくる回数が増えたよね。聞くネタが増えるっていうことは、気がつくってことが増えてきたっていうことだよね」

48歳の横山さんにとって、真夏の炎天下での農作業は地獄だったのではないだろうか。
「確かに、夏はやっぱりキツかったです。昼休みの間、寝てるんですけど、夜も8時くらいまで作業していたので。本当に、寝てるか、ご飯食べてるか、作業してるか。そんな生活でした」

一方の小林さんは、20代前半ということもあって、体力的にはあまりキツさは感じなかったという。そういえば、春の取材と小林さんは随分と印象が変わった。メガネをかけなくなったということもあるが、何よりも、思い詰めたような緊張感がみなぎった表情が消え、柔和な笑顔で他の塾生たちと話し込んでいる姿は、かなりの変身ぶりだ。そんな小林さんの変化について、横山さんは「自分を追い込み過ぎて、余裕が無かったような所は確かにありました。今は、自分の進むべき道が見えてきたというか、長いスパンで考えられるようになったから、精神的な余裕が生まれてきたんじゃないですかね」という。

chapter02

当の小林さんに印象がかなり変わったことを話すと、「春の自分に声をかけてやるとしたら、『もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃない』って感じですかね。自分がやりたいことが見つけられなくて、焦っていたんだと思います」

〈有機のがっこう 土佐自然塾〉への入塾以前に働いていた農業法人で、一度農業に挫折しかけていた小林さん。それでも農業への思いが消えることはなかった。
「ずっと、環境問題に関わるような仕事がしたかったんです。ただ、だからと言って反対運動や批判的な活動をするのではなくて、より環境を良くしていくような活動を積極的にして行きたかったんです。それが農業だったんです」

小林さんの変化は、山下さんの目にはどう映っていたのだろうか。
「正明は、不安がなくなってきたような気がする。これでいいんだって、気持ちが落ち着いたんじゃないかなと思う。それとタフやね、あいつは。本を良く読むんやけど、頭でっかちの本読みバカにならんところが良いね。バランスが良いんやね。一度農業に足を踏み入れてることもあって、浮ついてもいない。心のトルクというか、器が大きいんやろうかね」と語った。

小林さんにとっては、年配の塾生との関わりも大きかった。人生経験豊かな先輩たちとずっと一緒に過ごす内に、凝り固まりそうだった心がほぐれていったのだ。
「仲間に恵まれたいうことは大いにあると思います。それと、最近、ふと思ったんです。入塾する前と、今の自分を比べると、計り知れないくらいの差があるなって。いつも作業している時は没頭しているので実感がないんですけど」

日々、山下さんから与えられる課題をがむしゃらにこなしていく内に、農家として必要な筋力がついていたのだ。それは、横山さんにとっても同じだった。

「入塾前までも、自分がやりたいことはあったんです。ただ、それのやり方が分からなかった。でも、今は、山下さんに教わった技術を活かせば、こういうやり方が出来るってはっきりとイメージできるようになりました。ですから、最初は、卒塾したらここで学んだことの真似から入って、(農業を)やりながら自分の方向性を模索しようと思っていたんですけど、やっぱり、もっとストレートに表現していこうと思いました」と語る。
それは、農家としてではなく、春の取材でも横山さんが何度も口にしていた「あらゆるすべての命との共生」を体現した生き方を貫く決意表明だった。
「種を植えたり、耕したりする農業ではなく、自然生(しぜんばえ)というか、作物自体の生命力に任せた栽培をしていこうと思っています。虫も雑草も取るのではなく、共生していく。そうして、私も含めて、すべての命と共生した生き方をしていこうと思っています」

横山さんの決意は山下さんにも届いていた。
「護は、自分を一農家とは考えていないよね。それに対して、ここでどれくらい実感を持てたかは分からんけど、少なくともそれを掴むために農作業に没頭するっていう非常に正しいやり方をしている。個人的には、能力が高いから、農業の最前線に何年か立ってみれば、その先に彼が目指す世界が開けてくるとも思うんだけどね」

自分がつなぎ役になる

chapter03

山下さんは決して自分の意見を塾生たちに押し付けようとはしない。
「何故かというと、塾生の自由な選択肢を狭めてしまうから。自由な選択の中で選んだことこそが、最善な選択だからね」

この言葉は、そのまま山下さんの人生にも当てはまる。バンドマン、塾講師を経て48歳で就農したのも、すべては山下さん自身の自由な選択から生まれた最善の選択だったからだ。
「こう見えても慎重なタイプやから、農家になるまでに、4、5年は家庭菜園をやりながら勉強をしたね。というのも、家庭菜園を始めたのも、農家になろうと思ったからではなくて、自分の体調管理のために食べ物に気をつけるようになったことがきっかけだったからね」

当時、高知市内で学習塾を開いていた山下さん。少しでも体にいいものをと思い、自然食品店で野菜を購入したのだが、美味しくなかった。そこで、自分で作ってみようと思い家庭菜園を始めた。
「家庭菜園始めたら、とにかく楽しかった。もちろん野菜も美味しかったけど、何よりも自然の中にいることが気持ち良かった」

これまで、何度も取材で山下さんにお会いしてきたが、山下さん自身の農家としての原点を聞いたのは初めてだった。年齢を重ねても新しい情報を取り入れ、毎年毎年、栽培方法をアップデートし、常に、よりハイクオリティな有機農業へ挑戦し続ける情熱の源は、ここにいる塾生たちと同じように「農業をすることが、とにかく楽しい」という思いだったのだ。

「忘れもせんのは、塾講師と農家を2年間兼業してたんやけど、今日から農業一本となったあの時の幸福感はなかったね。『よし、今日から、朝から晩まで百姓やるぞ』って」
山下さんは農業について語ると、よく「幸福」という言葉を口にする。
「前回の取材の時に、「何のための農業か」って話をしたと思うけど、原点は自分のため。自分が楽しいってことにある。なんだかんだ言ったって、自分が幸せになりたいっていう幸福論なんだよ」
確かに、夕日の染まる畑の中で、塾生たちと一緒に水菜を収穫している山下さんは誰よりも幸せそうに見えた。

「音楽も震動波との共振が気持ち良いわけだけど、農業の場合は、畑や周りの山とかとパッと共振・共鳴したらすごく気持ち良くなる。誰もが幸せって掴めるものだと思ってる。幸せなんて実体のないものなのに。それが、畑で自然の仕組みと共振出来ると、快感になる。それが、塾生によく言ってる幸せ探しってことなんだ」
ある人にとっては、幸せの尺度はお金かもしれない。ある人にとっては社会的な地位の確立かもしれない。「でもね」と、山下さんは続ける。
「他を排除してでも自分は勝ちに行こうみたいな、野心家や成り上り思考の人は、苦しい時に自滅しちゃうから保たない。一方で、お人好しの人は上手くいくんだよ」

chapter04

「お人好しは上手くいく」なんて、経済や効率を優先する市場原理主義の競争社会では、一見、ひどく牧歌的に聞こえる。だが、この言葉は、日本の有機農業界を牽引する立場となった現在の山下さんを象徴する言葉なのだ。
「僕は、塾生じゃなくても勉強に来たい農家さんがいたら大歓迎。聞かれれば、何でも答える。でも、そういう農家さんがいない。だから、僕は、〈有機のがっこう 土佐自然塾〉を続ける。これからの農業を支えていく人材を輩出することと、農業自体の再編を待ったなしでしなければならない現状で、若い農家の意識を作っていくために、自分がつなぎ役になること。それが、僕が前に話した、有機農業を軸とした“田舎からの国造り”に繋がるわけだし、塾生を仲間と思える理由でもあるから」

農業界全体における有機農家の割合は1%にも満たない。だからこそ、農業技術を伝播し、マーケットの舌を満たせる農家を増やすことが、有機農業だけでなく、日本の農業界全体の底上げにつながると確信している。それが、ひいては消費者の健康につながり、豊かな日本の自然を未来へ繋いでいくこともなる。つまり、「農業が楽しい」という、とても個人的な思いを追求していったら、それに関わる他者とも連帯していくことが、自分を含めたすべての人の幸福に繋がることになると気がついた。それが、山下さんの言う「幸福」であり、「お人好しはうまくいく」ということなのだ。

そんな山下さんにとって、「農家とはなんですか?」と直球の質問をした。
「エンターテイナー。究極のサービス業」即答だった。

まもなく、小林さんと横山さんは卒塾する。横山さんは、関東近県に畑を探している。
「山下さんは、夢を追いかける姿勢が素晴らしいです。ただ、こうやれば(作物が)出来るから、それを続けていけばいいというのではなくて、常にトライ&エラーをしながら追求している。だから、学べたかどうかは分からないですけど、学び方は分かりました」

小林さんは、もう一年、山下さんの下に残ろうと考えている。
「ここへ来て、農業がもっと好きになりました。一穂さんは、僕の人生に凄い影響を与えてくれた人であることは間違いないです」

「農業が好きだ」と言い切った小林さんに、「農家は天職ですね」と尋ねると、即座に「うん」と答え、こう続けた。
「こういう質問に、迷わず『うん』と言える自分になったことが嬉しいです。それがなくて、本当に苦しくて大変だったので、見つかって良かったなって思います。これから先、自分の目指すものと、今が繋がっていることが感じられて楽しいんです」

横山さんも、小林さんも幸せそうな笑顔だった。
「今期の塾生とも仲間になれたね。伝えたい思いは、これから届いていくんやろうね」
そう語る山下さんも、実に幸せそうだった。

photo/Kentaro Kumon text/Takashi Ogura

山下一穂(Yamashita Kazuho)

1950年、高知県高知市生まれ。学習塾経営などを経て、98年より本山町に移住して新規就農。有機農業に目覚めたきっかけは自身の体調不良の改善のため。山下農園を開き、2006年より高知県と地元NPOとの協働で人材育成のための有機のがっこう土佐自然塾(土佐町)を開き塾長を務める。
www.tosa-yuki.com

写真家の眼

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