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塾生たちは、有機農業を軸とした“田舎からの国づくりをしていく仲間”~〈有機のがっこう 土佐自然塾〉の1年間を追う~

この塾の本質は、いかにいい土を作って自然の循環を再現させるかということ

山下一穂さんには、昨年も、この〈先駆者の言葉〉にご登場いただき
その時には、味はもちろんのこと、見た目までこだわったハイクオリティな有機野菜で知られる、
山下さん自身の有機農業への思いや取り組みについて語ってもらった。
今回は、山下さんが塾長を務める、〈有機のがっこう 土佐自然塾〉について、
山下さんと塾生の方々まで含め、春と秋、季節をまたいで追いかけてみたい。
有機農業を牽引してきた先駆者と、その背中を追いかける者たち。
南国・土佐で繰り広げられている畑のレッスンとは。

chapter01

畑に夕日が沈む頃、一日のハードな農作業を終えた塾生がミーティングルームに集まり、大きなテーブルを囲むようにして座っていく。一日を終える終礼だ。だが、塾生の誰も疲れた顔などしていない。この4月から始まった塾生としての生活と、ここを卒業し、農家として自立していくであろう自分の未来に、期待とやる気が溢れている表情に見える。今日の作業経過の報告を聞き終え、「何か今日の作業で感じたことはありますか?」と、柔らかな口調で山下さんが尋ねる。すると、ひとりの塾生が口を開く。

「苗のことなんですけど、水やりっていうのは、どういう基準でやればいいのでしょうか?」
「簡単です。苗が『水くれ』って言ったらやってください。それで、どれくらい欲しいか聞いてください」
ー苗に聞く?その言葉の意味を図りかねて塾生たちは静まり返る。

前回の記事でも触れたが、山下さんは、48歳から高知で農業を始めた。それまでは、塾の講師などもしてきたが、最初に選んだ仕事はバンドマンで、ドラムの担当だった。だからなのか、意図的なのか、山下さんの言葉はいい意味で軽やかで、とても感覚的だ。例えば、「有機農業とドラムって共通してることってあるんですか?」と聞くと、「あるねー」と即答。

「ドラマーって、周りを乗せていけるかというのが問われているんで。いうたらバンドの指揮者でもある。そういう楽しさね。音楽で感じたグルーブ感を畑で野菜にも感じるよ。それと、クリエイティビティを必要としているところも共通してるね」と、農業の素人でも思わず引き込まれるような言葉で話す。極め付けは、取材スタッフの「山下さんにとっての農業とは?」という質問への快答だった。
「ノリ一発!」
こういうパーソナリティの持ち主だからこそ、塾生の問いに対しても、「苗に聞く」という言葉が最初に発せられるのだ。

静まり返った塾生に山下さんが話を続ける。
「朝、行った時に、まず、(苗を)見てください。で、しおれそうだったら水をやらないかん。これがまず第一ね。だけど、やるかやらんかは、それだけで決めん。土の中を見てみる。それで、判断つかんかったら引っこ抜いてみたらいい。それで、指先がほんのり湿るくらいならまだ大丈夫」
塾生たちの顔を見ながら話す。

「ただし、それも今日みたいな雨模様やったらいいけども、かんかん照りになったとする。そうすると、うっすら指につくくらいで、(このままで)いけるかいけんかは、その湿り具合で判断する。それと、重さ。パッと見た葉っぱの状態。持った時の重さで、慣れてくると、湿り具合が分かってくる」
「苗に聞く」の意味を理解した、塾生の顔から緊張が取れていく。

山下さんは、48歳からのスタートという圧倒的に不利な条件をものともせず、有機農業、自然栽培、なんと慣行農法まで、良いと思ったことは何でも取り入れ、自分の中で噛み砕き、あらゆる技術を駆使し、畑で試し、ずっと、野菜栽培の方法をアップデートし続けている。驚いたのは、農家にとって最大の資産ともいえる、その知恵を惜しみなく他の農家や塾生たちと共有してしまうところだ。それも、感覚的な言葉を裏打ちする論理的な説明まできっちりとしていく。

塾生とのやり取りを見て、ここが、この塾のポイントだと思った。苗を見て、「どれくらい水をあげればいいか」を感じる感覚。そして、水分量を決定する論理と、それを裏付ける技術。感覚、論理、技術。これが三位一体となる時、彼ら塾生はどんな農家に成長しているのだろうか。

chapter02

<有機のがっこう 土佐自然塾>では、4月に入塾し、1年間を通して有機農家として必要な知識や技術を学んでいく。元々、大工を養成するための学校だった施設をそのまま利用しており、寮も完備しているので、ほとんどの塾生が寮で暮らす。今年で、開校から10年。今季の10期生として入塾して来たのは、大学を卒業したての者から、長年勤めた企業の早期退職者制度を利用してきた者まで、22歳から58歳までの計9名(男性7名、女性2名)。その中から2名を取材させてもらうことにした。
一人目は横山護さん。48歳。東京でサラリーマンを続けたのち、社会問題を扱うコンサルタントとして活動をしてきた。もう一人は、小林正明さん。高校卒業後、農業法人で研修生として働いた経験も持っている。<土佐自然塾>には面接という入学試験があるが、その時の印象を山下さんに聞くと、「横山護は理知的。小林正明は面構えが良かった」という。

畑での塾生を見ていて、最初に印象に残ったのが、小林さんだった。山下さんが語る言葉を一言も逃すまいと、ポケットからメモ帳とスマートフォンを取り出し、熱心に記録をしている。聞くと、こういった畑での作業を毎日SNSに投稿しているそうだ。アップすれば、自分だけのオリジナル教科書にもなるし、みんなのためにもなるという。そうして、今時のテクノロジーをサラッと使いこなす一方、他の塾生がゴアテックス製のアウトドア・ウエアや作業用つなぎなど、比較的小綺麗にしているのに対し、小林さんだけは泥だらけのヨレヨレのシャツを着ている。
その姿からは『見た目なんてどうでもいい。俺は、ここに農業を学びに来たんだ』という強い意志を感じた。

だが、同時に、こんなに勢い込んでいたら、もたないんじゃないかと、心配にもなる。そのことを山下さんに尋ねると「誰でも必ず波があるからね。落ち込んだ時に、どれくらい我慢できるかは人間性と理念の問題。つまり、何のための農業かというのがしっかりしてたら落ち込んだ時でも持ちこたえられる」と答えてくれた。

ここに、この塾のもう1つのポイントがある。
『何のための農業か』
これは、塾生のみならず、多くの現役農家にとっても同じ問いかけだ。自分のため。家族のため。社会のため。答えは人の数だけあると思うが、大事なことは答えそのものではない。その答えを導き出した自分の思いをどれだけ強く信じきることが出来るかどうかなのだ。新規就農した若手農家が栽培技術力の未熟さや販路の確保の困難さを理由に農業を諦めてしまうのも『何のための農業か』と向き合って来なかったからではないのだろうか。

小林さんは、高校卒業後、自身の進路に悩み、一年間で200冊もの本を読んだという。そんな中で、彼は、彼だけの『何のための農業か』を感じ取っていった。
「色んなジャンルを読みましたが、ある日、仏教の原典を読んでいたら、そこに『飢餓とは最古の病だ』みたいなことが書かれていたんです。祖父が農家だったこともあったし、「飢餓を失くすような仕事ならしたい」って思ったんです。周りの人たちも喜んでくれたり、(世の中の)役に立つような仕事だなと思って」
「あと、食べ物で気持ちとかも変わると思うんですよ。良いものを食べていれば病気もかかりづらくなるだろうし、(人間が生きていく上での)根本的な仕事のように思えたんです。進路で鬱々と悩んできたこともあるので、自分がやりたいことをやらない生き方、自分に正直じゃない生き方はしたくなかったので、ここに来てからは、何をやっても楽しいですし、ワクワクしかないです」

最高のマーケティングは勝手に売れるモノを作ればいいわけです。だったら作る。ハイクオリティな有機野菜を

chapter03

もう一人の横山さんにとって、『何のための農業か』は、そのままサラリーマンから農家への大転身を図る大きな羅針盤のようなものだった。
「自分の成功=お金を稼ぐことと考えて生きていたのが、サラリーマン時代でした」
そんな考え方が変わったきっかけのひとつが、東日本大震災だという。
「自然に対する見方が変わりました。それまでは、自然と自分の生き方がかけ離れた生活をしていたように思うんです。でも、それを、融合させないといけないんじゃないかと思うようになったんです」

行動は早かった。会社を辞め、社会問題を扱うコンサルタントとして独立した。だが、よりダイレクトに自然と融合出来る仕事を求め、有機農業に辿り着いた。
「色んなことを考えて、一生懸命生きようと思ってきましたけど、今は、生きてるというより、生かされてると思うようになりました。

生かされている意味っていうのを考えると、農業が仕事として自然なんですよね。その上で、慣行と有機と分けた時に、農薬を撒いて(自然の)一部を人間にとって都合が悪いというだけで、踏みつけるようなやり方は違うんじゃないかなと。

<土佐自然塾>では、畑の中にいかに自然の生態系を再現するか、というのが命題なので、これだと思いました。自分の生きがいを求めたいんです。納得した形で人生を全うしたい。だから、何の為に生きているのかってことなんですよね」

何の為に生きているのか、との自問の末に出した農業への道。それは、そのまま『何のための農業か』への自分なりの答えとなる。48歳にして、家族を自宅に残し、狭い寮で単身新たな生活を始めた横山さんの思いは、畑での姿からも伝わって来る。例えば、畑の草刈りひとつを見ても、とても丁寧に作業をする。作業の意味と手順をしっかりと体の隅々まで沁み渡らせているように見える。小林さんが動なら、横山さんは静だ。

それにしても、体力的にはキツくないのだろうか。というのも、<土佐自然塾>の作業は相当にハードだ。草刈り、水やり、ハウスの管理、苗の定植など、点在する畑を行き来しながらの作業に休憩はほとんどない。全員が、一日中ガムシャラに畑と格闘するよう、山下さんがプログラムを組んでいるのだ。その理由を山下さんはこう説明する。

「この1年間の研修期間中に成果を上げるためには、体験値がモノを言うわけです。だから、基本的には塾生が暇な時間を作らない。一年間、とても忙しくする。技術というのは、体の身のこなしが、農作業全般にすごい大事なんで。それを身につけるには、クタクタになるまでやらんと」

「体のコツっていうのがあるんですよ。物を持つのにしたって、下手に持つとすごい疲れるし。でも、それでも疲れ切って何とか運んでるウチに余計な力が入らない身のこなしを覚えていくんです。ということは、疲れるまでやらんとしょうがない。頭で覚えたことはすぐ忘れちゃう。そして、限界まで体を動かすことで、それまでの自分の殻が取れてくる。」
「そうしたら、自由と解放感、想像力、こういったもんが高まってくる。僕自身もそうでした。体をこき使っていると、それまでの町の生活の閉塞感だとかいったつまらん悩みは、“どうでもいい!”って。“わしゃ、眠いんじゃ”だよね(笑)」

真夏ともなれば、ハードとか、過酷を通り越して、地獄だろうと想像がつく。それに対して横山さんが口にした言葉が、彼の覚悟を物語っていた。
「まあ、今でも多少、キツイですけど。夏は朝の5時から、夜の9時まで作業だと聞いてます。そういう過酷な環境を与えてくれていることも、ありがたいなと思います。それに耐え切れる体じゃないとやっていけないと思うんですよ。動けなくなったら、自分で食べるものくらいも作れなくなったら、潔く死んだほうがいいというタイプなので」

chapter04

「仲間作り」、と山下さんは塾長を務めている理由を話す。
自身の<山下農園>のことはもちろん、兵庫での農園のプロデュースや講演会、さらに有機農業の各種団体によるシンポジウムへの出演など、多忙な中、どうして<土佐自然塾>を続けているのか知りたかった。それが、山下さんにとっての『何のための農業か』の答えだと思ったからだ。

「政治にも、行政にも、僕がやろうとしてることは期待できないから、実際に現場で実績を積み重ねていく仲間を増やしていく。そうすれば、どんどん広がっていく」
その山下さんがやろうとしていることというのは、どういうことなんだろう。
「この塾の本質は、いかにいい土を作って、自然の循環を再現させるかということ。野菜は、環境、土が作るものだから。人間が作るんじゃない。この意識。ここに、ぼくにとっても、塾生にとっても共通する、“多様な生命、多様な価値観との共存”という理想がある。その上で、僕が掲げているのは、それを実践する有機農業を軸とした、“田舎からの国づくり”ということなんです」

「ただ、塾生は理想をいっぱい持っているけど、それをするには、自分の理想とする仕事でまず飯が食えないといかんという現実がある。理想と現実。そこをどうつなげるか。

「日本の農業はどんどん大規模化、あるいは集約化に進んでいる。でも、そうなると、クオリティに上限が出てくる。規模が大きくなるほど、クオリティが下がってくる。そこに我々のような小規模農家のチャンスがある。大規模農業には出来ない強み、それがクオリティ勝負。つまり、最高のマーケティングは勝手に売れるモノを作ればいいわけです。だったら作る。ハイクオリティな有機野菜を。そうして、売れる野菜を作れば、理想と現実が一致するんです」

山下さんが言う「ハイクオリティな有機野菜」とは、味だけを指しているのではない。スーパーの野菜売り場に並ぶ、色鮮やかな綺麗に形が揃った他の野菜と比べても見劣りしない、見た目までも完璧な有機野菜。虫食いや色や形のバラツキも「有機野菜なんで」といった言い訳はしないと言っているのだ。そんな山下さんの姿勢は、小林さんの目にはどう映っているのだろう。

「やりたいことを、自分の理想を掲げて、それに向かって行動をする。塾も山下農園も、そうやって掲げたことをちゃんとやる。この生き方。しかも周りを巻き込んでやる。そこがすごいし、道を切り開いてくれていると思います。だから、その人から学べることはすべて学びたいと思ってます」

一方の横山さんも、「全国いろんな農家さんを見ましたが、一穂さんのすごいところは、常に視点が開かれているところですね。もっともっとと、技術も広げていく。純粋で、熱心で、勉強家な方だと思います」と語る。

春の日差しが畑に降り注ぐ中、農作業を続ける塾生を見守りながら山下さんと話す。
「先生っていうのは、先に生まれたっていうくらいですから、その分は、自ら先に進んでいく。ただ、野菜を育てることにも同じことが言えるんだけど、共に学ぶということ。教えてもらう。僕が教えることもあるけど、教えてもらうこともある。

塾生たちの煩悩や悩み苦しみに立ち向かう姿から学ぶこともあれば、相談を受けて、答えてるうちに自分の中の考えがまとまったりとか。技術を教えることにしたって、言葉に置き換えて相手に伝えるということは、自分の中の技術が整理されてくる。だから、教えて、教えられるということなんだ」そういうと、空を見上げた。

「例えば、この春の風の匂い。それに光とか影とか。五感を研ぎ澄ませて。素手で触って、肉眼で直視して。そういうことを積み重ねて、この1年間で『自然の仕組みを畑の中に再現する』という行為を感覚的に分かるようになってもらいたい。 『あ、そうか症候群』って言ってるんだけど、ある時期を境に実地で体験したこと、講義で学んだこと、色んなことが自分の中で結びついていくんだね。『あ、そうか』『あ、そうか』ってのが、ガンガン出てくるようになる。そうなると、一気に力がついて、グンと伸びるんだ」

実りの秋が訪れる頃、2人の塾生は何を思い、何を語ってくれるのだろう。山下さんの下で学んだことで、2人の『何のための農業か』は変化していくのだろうか。畑のレッスンは、まだ始まったばかりだ。

photo/Kentaro Kumon text/Takashi Ogura

山下一穂(Yamashita Kazuho)

1950年、高知県高知市生まれ。学習塾経営などを経て、98年より本山町に移住して新規就農。有機農業に目覚めたきっかけは自身の体調不良の改善のため。山下農園を開き、2006年より高知県と地元NPOとの協働で人材育成のための有機のがっこう土佐自然塾(土佐町)を開き塾長を務める。
www.tosa-yuki.com

写真家の眼

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