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 土は進化する

農家という仕事は、食料を作るだけの仕事じゃない。

今からおよそ80年前。自然農法という農業が日本に生まれた。
その農法は、太陽と水と土の力さえあれば、無施肥無農薬で作物を育てることができると説いた。
しかし、それは、長い長い時間と絶やすことのない情熱がなければ成し遂げることはできない農法でもあった。
高橋博さんは自然農法に出会った時「これが本来の農業だ」と確信したという。
多くの仲間が作物の不出来を理由に去っていく中、
高橋さんは40年間、ひたすらに自然農法を実践し続けてきた。
「土作り」ではなく「土を育てる」という高橋さんの取り組みは、多くの農家にとって、
とりわけ有機農業を志す者にとっては大きな励みと気づきをもたらしてくれるのではないだろうか。

chapter01

先駆者の畑を訪れると、いつも必ずすることがある。圃場の土を手で掴み、しばし掌で握ったりしながら土の様子を観察し、最後に土の匂いを嗅いでみるのだ。こちらは土壌診断のプロではないから、栄養素のバランスとか専門的なことはわからない。ただ、確実に言えるのは、どの畑も全て異なった手触りと香りを放っている。だから、こうして自然栽培全国普及会の会長である高橋博さんの圃場に最初に足を踏み入れた時も、畑の土を掴み、匂いを嗅いだ。これまでのどの先駆者の土よりも、粘度が低くあっさりとした感触。何より驚いたのは、土からほとんど香りがしなかったことだった。そんなこちらの様子を見て、高橋さんが声をかけてくる。
「ウチの畑は有機農家に特有の香ばしいような香りが全然しないだろ。無農薬はもちろんだけど、ウチは40年間無施肥でずっとやってきたからな」

ここで改めていうまでもないと思うが、ひとことで有機農業といっても、様々な手法や哲学に基づいた農法が細かく枝分けれしている。そんな中、高橋さんが40年来実践しているのが「自然農法」である。
「自然農法は80年の歴史がある。ただ、隆盛と衰退を繰り返してきているのと、自然農とか近しい呼称を持つ農法が増えてきたから、2011年に『自然栽培全国普及会』として、改めて組織を立ち上げたんだ」

生産者と流通と消費者が自然農法を軸にまとまった三位一体の団体。それが『自然栽培全国普及会』であり、現在は全国で200名ほどのメンバーで構成されている。

高橋さんは、千葉県・富里市で農家の3代目として生まれた。高校を卒業後、長男だからという理由だけで後を継いだ。
「親父から教わったのは近代農業だ。それを10年間続けた。嫌でしょうがなかった。農家なんて一生やる仕事じゃないと思った。例えばな、出荷一週間前までしか使ってはいけない農薬を出荷前日までかけてる農家や、この辺りはスイカの産地なんだけど、他の産地が台風で全滅したなんて話を聞くと大喜びしてるわけだ。値段が上がって自分たちが儲かるから。そうやって、他人を蹴落とし、嘘を平気でついている仕事だった。だから、10年経った時、もう農家をやめようと思ったんだ」

まさに、そのタイミングで一人の男性が高橋さんを訪ねてきた。高橋さんは、その男性のことを今でも『先生』と呼ぶ。
「先生と出会ったことで、俺は、農業に対する考え方はもちろん、それまで我が強い性格だった自分自身さえも変えてもらった。先生は、自然農法を全国に普及しようと、たった一人で全国を歩いていた人だ。たまたま、この北総台地を訪れて、誰か自然農法を実践できるような農家はいないかと探していたらしい。そして、どこからか俺のことを聞いて、いきなりやってきたんだ」

chapter02

「小さな黒板を取り出すと、そこに自然農法の理念と原理を書き始めたんだ。そして『無肥料無農薬で作物は育てることができるんだぞ』って言ったんだ。できるわけがないと思ったよ。ただ、近代農業に嫌気がさしていた自分の中で、学生の頃のような純粋な気持ちが蘇ってくるんだ。しかも、『この農法なら、世界中どこでも無肥料無農薬栽培が可能になる』っていうんだ。それで決めたんだ。これに賭けてやろうじゃないかって」

3年間、先生のもとで修行をした。徹底的に叩き込まれたのが、自然の規範を学ぶことだった。「あの木を見てみろ」と言われたのは、高橋さんの庭先で樹齢100年を超える一本の柘植の木だった。
「無肥料無農薬で作物を育てるというと、『落ち葉とかの腐葉土を栄養にしないと育たない』という人がいるけど、あの柘植の木はいつも掃除してるから、落ち葉なんか溜まりようがない。それでも無肥料でずっと育っている。なんでそんなことが出来るか。それが自然農法の教えの根幹なんだ」

高橋さんが図を描きながら説明してくれる。
「まず、太陽から光と熱がくるな。太陽のエネルギーだ。これを我々は火素(ひそ)という。そしてあらゆる水の働きを水素(すいそ)という。水素は月の影響を受ける。昔の木こりは新月に木を伐った。海の潮の満ち引きも月の影響。つまり、地球に備わっている月と太陽は、どの農家にも等しく注がれている。だけど、無肥料無農薬で作物を育てられる農家と育てられない農家がいる。その違いは何かといえば、もう一つの要素、土のエネルギーである土素(どそ)がその畑にあるかないかという違いなんだ」

とはいっても、先生のもとで修行を終えた高橋さんも、すぐに無肥料無農薬栽培に成功したわけではない。近代農業を実践していた高橋さんは奥さんとふたりで三町歩の畑をやっていた。そのうちの一部を無肥料無農薬に変えた。3年、5年とやっても一向に思うように育たない。

「もしかしたら、ウチの畑の土からエネルギーが出ていないんじゃないかと考えて、土の中を調べ始めたんだ」
作土層よりもずっと深くまで土を掘り、10cm刻みで温度と硬さを調べた。すると、ある一定の深さから、突然、硬くて冷たい土の層がごっそりと出てきた。先生に教わっていた、『肥毒(ひどく)』とはこれかと思った。

「肥毒というのは、ざっくりいえば、それまで使ってきた農薬や化学肥料が雨で染み込んで土の下に溜まることをいう。ここらは、火山灰の土だから、もともと野菜を育てるのには向いてない土壌なんだ。それをじいちゃんから3代に渡って農薬を使って作物を育ててきたから、それが全部地下に溜まっていたんだな」

圃場で土を掴んだ時の手応えは火山灰の性質でもあったのかと思い返す。それでも、高橋さんの圃場では、ピーマンやトマト、ナスが育っていた。あるがままの土に戻したら、火山灰では作物は育たないはず。頭の中で答えの出ない?がぐるぐる回る。

美しいものへの舌の感覚を研ぎ澄ます

chapter03

「もう一度、畑の土をよく見てみろ。何か気がつくだろ」
じっと目をこらすと、掌の土は大小さまざまな粒状になっている。
「それが土の団粒化だ。いい土の条件とは、あたたかくて、柔らかくて、水はけと水もちがいいことだ。それを可能にするのがこの団粒なんだ。じゃあ、どうすれば団粒化が出来るのか。そのヒントは、地球誕生以来の土の歴史にある。地衣類なんかの苔が生え、そこから微生物や植物が生まれ、岩を砕き土が生まれた。そんな40億年の繰り返しの歴史の賜物が土なんだ。そこに、人間が関わることでその進化のスピードを速める。そして畑に団粒化を生み出していくんだ」

土は進化する?すごいことを言うなと思った。確かに農家にとって肝心なのは「土作り」だ。だが、高橋さんにとって、一農家の「土作り」なんて長い進化の一部にしか過ぎないと言う。
「ウチはじいちゃんから数えても100年しか耕してない。歴史の浅い、若い土だ。だから、まだ30cmくらいしか団粒化していないと思う。全国を歩くと、かつて川の氾濫で川の水が入ってきたような農地に出会うことがある。そういう土はいい土なんだ。1mくらい団粒化してる土もある」

100年で若いと言われてしまっては、新規就農したばかりの農家などどうすればいいのか。

「土のエネルギーを再生するには、まずは肥毒を抜くこと。そのために緑肥なんかを蒔いて吸わせる。植物の根を使って土を浄化してもらう。でも、途中で刈り込んですきこむようなことはしない。朽ち果てるまで待つ。それが自然の規範だから。それができないなら、せめて刈り取ってから10日くらいは畑においておく。そうして周囲の環境に順応させてから漉き込む。
あとは、この畑の残渣だけで作る堆肥を入れることくらいだ。よく勘違いする人がいるんだけど、堆肥っていうのは、肥料のように作物を肥やすためのものじゃない。土をあたたかく、柔らかく、水はけと水もちをよくするために使うんだ。そして、草も含めた植物の残渣が腐植となって、土の団粒構造ができていくんだ」

今から20年ほど前に、県の試験場の人間に土壌診断を受けたことがあった。高橋さんの土には窒素分が一切ないと言われた。
「『このまま何も入れなければ、何も育たなくなりますよ』って言われたんだけどな。あれから20年。栄養素なんて入れずに、今も、春は大根と枝豆、夏からピーマン、そのあとサツマイモ、最後にニンジンを毎年作っている(笑)。連作障害もない。肥料を使うから、それが土の中に残って障害が起きるんだ」

chapter04

取材中に雨が降り出すと、高橋さんがニンジンの種採りを始めた。
「肥毒は農薬だけからじゃない。種からも出るんだ。一般的に売られているニンジンの種は裸種の大きさが想像できないくらい丸々してる。消毒と栄養素をコーティングされているから。そういう種を使うことも土を退化させる。だから、農家にとって、土を育てることと種を採ることはセットなんだ。このニンジンの種も40年前に手に入れて以来ずっと採り続けてきた。最初の数年は、環境が違ったから思うようなニンジンは一万本の内7、8本しかなかった。それを探して、必死に繋いできた。固定するまで10年かかった。長い時間がかかるけど、種と土の進化はちょうどマッチする。種は農家を救ってくれるんだ。仮に、一般的な種でなんとかなってる農家がいたら、その農家の土はまだ進化してないんだ。」

自然農法に出会う前、高橋さんにとって農家は嫌な仕事だった。だが、自然農法に励み続けた40年。一度もやめようと思ったことはないという。
「何人もの農家が自然農法を諦めていったよ。でも俺は諦めなかった。どうしてかといえば、農家という仕事は、食料を作るだけの仕事じゃないからだ。今も雨が降ってるけど、こういう雨を保つ場所=農地を守らないと、大洪水を起こしたり、環境を崩すことになる。地球の環境を守っているんだっていう、そういう役目が農家にはあるんだってことを認識してもらいたい。若い農家なら、誰もが考えたことがあると思うんだ。『俺、なんのためにここにいるんだろう』ってな。その役目、使命感を持った時から、また一人、農業を守り、伝えていく人間ができていくんだ。俺もその一人だ。先生に出会えて、俺は今の仕事を天から降ってきた仕事だと思ってる」

70歳となった今、これからやりたいことはあるかと聞いた。
「芸術の農業をやりたいな。野菜って見栄っ張りなんだよ。いつも綺麗な姿を見せたがるんだ。だからその野菜の魂をうんと生かしてやりたいんだ」

その時、実は、ニンジンの種取りを終えて、収穫したピーマンの出荷作業に変わっていたのだが、こちらもその作業を手伝わせてもらいながら、話を聞いていた。不思議なことに、高橋さんのぴっかぴかのピーマンを数十個、数百個と触っていると、自然とリラックスして、身体の奥からほっこりしたような多幸感が湧き上がっていたのだ。

美しい自然に身を置くと心と身体が喜んでいるのを感じることがある。月と太陽と土だけで育った高橋さんの野菜たちは、自然そのものなのだ。それは、まさに高橋さんが40年かけて育んできた土との共同作業で作り出した芸術なのだ。

photo/Kentaro Kumon text/Takashi Ogura

高橋博(Shinichi Murayama)

1950年千葉県生まれ。自然栽培全国普及会会長。自然農法成田生産組合技術開発部長。1978年より自然農法に取り組む。これまで、研修生や自然農法の私塾を主宰し、数百名の生徒を巣立たせてきた。現在も、勉強会や講演会を行い、普及に努めている。

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