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遠藤五一

日本一の米職人が語る地球という土壌を耕す農業

農業は楽しくて楽しくてしようがない

その米は、まるで果実のようだった。
口に入れた瞬間に感じる瑞々しさとふくよかな甘み。
そして、噛むほどに伝わってくるのが、米本来の旨みなのだろう。
山形県・高畠町に、『日本一の米職人』と呼ばれる米農家がいる。
『米・食味分析鑑定コンクール』で4年連続金賞を獲得した、遠藤五一さんだ。
およそ30年前から有機栽培による米作りに取りかかり、「安心」「安全」はもちろんのこと、
「味=美味しさ」、さらにはミネラル分による「米の機能性」までも追求してきた。
そんな遠藤さんにとって有機農業とはどのようなものなのだろう。
すると、話しは意外な言葉から始まった。

chapter01 有機農業はロマンや理想ではない

「有機農業というと、ロマンや理想を語る人がいるけれど、はっきり言って、そういう時代は終わった」
田植えが始まった田んぼで遠藤さんはそう口にした。

遠藤さんが暮らす高畠町は、昭和45年に『高畠町有機農業研究会』を設立し、地域ぐるみで有機農業に取り組んで来た先進的な土地だ。だからこそ、有機農業については、人一倍理想主義的な思い入れがあると思っていた。
「ウチは代々、米農家。私で12代目になる。親父の世代は国の政策もあってひたすら増産することを叩き込まれていた。私も継いだ当初はそうやって慣行栽培で米を作っていた。ところが、米の価格が徐々に低下するようになった。そこで、『どうして自分で作った米に自分で価格をつけられないのか』と疑問を持ち始めた」

米農家としての将来に不安を感じ始めた時期に、地域の大きな企業から社員にならないかと誘いがあった。
「給料も安定しているし、毎日土まみれで働く必要もない。すごく悩みました。でも、ちょうどその時に、高畠の中でも私が暮らす地元で『上和田有機米生産組合』を作ることになったんです。仲間の農家たちが参加することもあって、『よし、やってやる!』って気持ちを決めた。あの決断が、今の自分にとって一番のターニングポイントだったと思います」

遠藤さんにとって、有機農業とは、米農家として自立するための手段であった。
「農家を企業として見て下さい。農業の収入だけで採算が取れている人はごく僅かです。企業だと倒産ですよ。
これは、今も当時も同じです。だから、有機をやっていった方が飯が食えると思ったんです」
農薬の空中散布による健康被害や、様々な公害が問題視される時代の風潮を感じ取り、遠藤さんは有機農業へと踏み出した。
ところが、「見るとやるとでは大違いだったんです」

chapter02 目に見える努力は努力ではない

「とにかく雑草との闘いがハードだった。『俺はやれる!』って思って、1,200坪くらいだったかな。いきなりどーんと有機栽培で始めたんです。もうね、技術うんぬんじゃなかった。雑草に負けた。経験もないのに欲が出てしまった」
抜いても抜いても生えてくる雑草に心が折れた。米農家が米を作ることを諦めなければならなかった挫折感はズシリと心にのしかかった。

Chapter3 サイエンスが足りない

「『この先はどうなるんだろう?』って不安だらけでした。自分との闘いです。それで、次の年は田んぼの面積を3分の1くらいにした。迷ったり、失敗したらスタートラインに戻ればいいんだと思い直したんです」
そうして、3分の1の面積にした田んぼで完璧に有機栽培で米を作った。徹底的に自分自身を厳しく律するようになった。

「目に見える努力は努力じゃないです。それは当たり前のこと。目に見えない部分でどこまで出来るかが努力だと思うんです」
遠藤さんにとって幸いだったのは、先人たちが有機農業を通して豊かな自然環境を保ってくれていたことだ。
「工業は地球の資源を食い荒らす。農業は地球という資源を活かして、土壌を耕すんです。特に米作りにとって一番大切なのが水です。その次が土。土は生産者によって変えられるけど、水は変えられない。この地域の豊かな水は先人たちが大切に守って来てくれたものです。こういうことこそ、人間と自然の共存共栄というのだと思います」

ところが、有機米農家として技術と意識が向上するに従って、今度は有機栽培だからこその壁が遠藤さんに立ちはだかった。

作る技術と作れる土壌を次の世代に残さなければならない

chapter03 サイエンスが足りない

目の前の田植えをしている田んぼを指して遠藤さんは言う。
「普通この大きさの田んぼだったら、慣行栽培なら31~2俵(1俵=約60kg)は穫れる。でも、有機だと21俵くらいにしかならない。有機をやれば収益が高いと思うかもしれないけど、実情は違うんです」

農薬や化学肥料を使えば、稲の成長を管理し、少ない手間で高い収量を得ることが出来るが、有機栽培ではそれが出来ない。だからこそ、自分で納得出来る価格で販売しないと農家として成り立たない。そんな時、15年来の付き合いがあった生協の職員が口にした言葉に遠藤さんは閃いた。
「米をどうやって販売すればいいかと話していた時に、『私たちは遠藤さんの米が美味しいのは知っているけど、それを一般の人に知ってもらえるような基準がない』と言われ、自分に足りないのはサイエンスの部分なんだって気が付いて、早速、食味計※1と味度計※2を取り入れることにしたんです」
米の硬さや粘り、旨味やコクを数値化することで、それまで個人の好みとされていた米の味に一定の評価基準を取り入れた『米・食味分析鑑定コンクール国際大会』への挑戦が始まった。

「いくら有機でも、美味しくないと消費者は買ってくれないですから、まあ、自分がまさか米の食味に目を向けることになるとは想像もしていなかったですけど、誰もやったことがないことをしなければダメだと思いました」
面白いのは、このコンクールでは当初は慣行栽培の農家も参加していた。ところが、化学肥料でも食味計の数値は上げられるのだが、味度計は決して上げることが出来ないという。「それはね、田んぼの土の違いなんです。というのも、有機栽培では土中の微生物が有機のエサを食べ、排出したものが豊かな土壌を作ってくれる。ところが、化学肥料ではそれ(微生物の排出物)が少ない。だから、今コンクールに参加しているのも有機栽培の農家さんが多いんです」
とはいえ、当時、米の食味にまで目を向けている農家は少なかった。

サイエンスが足りない

  • ※1食味計…玄米に含まれる水分、タンパク、アミロース、脂肪酸の数値で、米のおいしさを計測する機器
  • ※2味度計…白米の保水膜(保水膜が多いほど味が良いとされている)を計測し、旨味やコクの数値を示す機器

chapter04 100年、200年のスパンで地球全体を考える

「これまであらゆる可能性を研究して来ました。例えばね、旨味成分であるアミノ酸を一番多く含んでいるのは魚です。だったら、魚の成分をたっぷり含んだミネラルを田んぼに加えたらどうなるだろうとか。ミネラルを加えるということは、米に美味しさを与えるだけじゃない。鉄分や亜鉛、マグネシウムといった必須栄養素を補う機能性までプラスすることが出来るんです。本当に美味しいものは、身体も心も沸き立つんです」

豊かな土壌で、太陽をたっぷりと浴びながら丁寧に育てられ、遠藤さんの思いと経験と技術の全てが込められた米は、農業関係者や舌の肥えた食通から、アトピーなどのアレルギーや病気を患っている人たちまでが絶賛した。味と機能が見事に調和していた。

遠藤さんは就農以来、日々の田んぼでの作業を10年日記にずっとつけている。それは、『日本一の米職人』となった現在でも、変わることはない。自らの体験がもたらした貴重なデータだ。そして、昨年、5年日記を長男の優一さんに贈った。優一さんが遠藤さんの跡を継ぐ決意をしたからだ。
「自分だけのことを考えれば、せいぜい後20年くらい農業が出来ればいい。でも、100年、200年のスパンで、地球全体を考えれば、作る技術と作れる土壌を次の世代に残さなければならない。私は米を作っている農家です。でも、そのくくりだけにはしたくない。もっと裾野を広げていく。環境を守り、生産者と消費者の健康を守れるような農業を残したい」

その思いは、優一さんに受け継がれている。「優一さんから見た有機農業とは」と聞いてみると、「妥協しないことじゃないですか。草取りはもちろんですけど、出荷する時の袋の紐の縛り方まで『気持ちを込めろ』と言われます。米の味については、ウチはひいじいちゃんも、じいちゃんもずっと米を作って来ました。だから、親父の味も残しながら、自分の味を作っていきたいです。そうして遠藤家の米の味を伝えていけたらいいですね」と答えた。

遠藤さんは、有機農業はロマンや理想ではないと言った。それでも、田んぼに立つ親子の姿からは、厳しい現実に立ち向かっているからこそのロマンと理想が見えた。

photo/Kentaro Kumon text/Takashi Ogura

サイエンスが足りない

遠藤五一(Yamashita Kazuho)

1958年山形県高畠町生まれ。2002年より「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」において4年連続金賞受賞を果たす。2006年にはダイヤモンド褒賞を受賞。現在は、長男の優一さんと共に自然と共生した農業に勤しむ傍ら、全国で生産者へ向けて数多くの講演もしている。

写真家の眼

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